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物事追及集 二〇一六年八月版



東原亜希のHAPPY BOX  「八月三十日」
『東原亜希のHAPPY BOX 東原 亜希著 KKベストセラーズ 2011年5月 1版 ¥1、429+税』 (購入¥200税込み)

まず、こんな本を買うなんて〜!と、自分自身で苦笑中なんだが、実は、この女性が、(私が理想とする“人の在り方”で)「ポジティブ&アクティブ」の好例ではないか!と思っているので、つい、どんなことを書かれているのかな?と思って。
やはり、この人の生活の仕方は、全てが、それのようで、安心した!

以前、この人が、柔道家・井上 康生氏との結婚を自らが求め、押し掛けて行って、見事に結実させたという話を、何かで読んだことがある。
今は、子供達を育てるのでも、「愉しくて&一生懸命に」らしいが。

こうした女性は、男性側の望む理想形でもあるのだが、現実にこんな女性が居ると眼が覚める思いがする。
世の中には、強い?はずの女性でも、結局は、無意識的な「他人依存」、「社会依存」のクセが抜けず、自分に出来なければ他人にやらせるか、あるいは、自然に?勝手にそうなるはずだと思い込んでいる幼稚・無邪気・怠惰な人間が多いものだが。
(尤も、私自身にも、そうした傾向が無いわけでもないが)

それにしても、私の孫娘もそろそろ年頃なのだが、なかなか結婚に積極的になってくれそうにない。
曾孫の顔が見られる(かもしれない)時代なんだから、孫達も早く家庭を持って、更に子供(達)を増やしてくれないかな?と望みながら、この東原さんの爪の垢でも貰って、煎じて飲ませれば変るかな?と思いつつ。(笑)



発明マニア (2) 「八月二十八日」
『発明マニア 米原 万里著 毎日新聞社』 (承前

『対イラク戦勝記念に時間を十進数で』という、何だかヘンな理由の「進数の変更」の提案らしい。
米原さんは、12進法や時間の60単位が気に食わず、元の出所であるイラクをぶっ壊したついでに、「進数」もこの際10進数に変えては?ということらしかった。

まぁ、進数が色々あるのは確かにややこしい!ってことは確かだが、慣れてしまえば、それはそれで“味”があるのでは?(笑)
それに、IT化が進むと、10進数に統一するなんて、更に難しくなるはず。

先日も、iPhone4s内蔵メモリが、64GBのはずなのに、実効値56GB程しかないので、一瞬あれっ少な過ぎるかな?と迷ってた。
例のKB→MB→GB桁アップの計算時に、1,000ではなくて、1,024で割って行くため、64GBは、実際は60GB弱のはずだが。
まぁ、これに2、3GBほどOSやアプリに喰われているとしたら、そんなもんかと納得!

米原さんが知ると、“そんなのやめてよ!”というかもしれないが、世の中の単純化は、それ程容易には進まないもんだ。
それこそ、「進数の統一」や「換算表の新発明」などよりも、「万能進数の発明(か発見)」の方が値打ちがあるのでは?と思う。
尤も、そんなのがあっても、(宇宙人が使えたって、)我々人間がおいそれと使えるようなものでは無いかも。(笑)



発明マニア (1) 「八月二十六日」
『発明マニア 米原 万里著 毎日新聞社 2007年5月 4版 ¥2、200+税』 (購入¥200税込み)

私は、この著者の“在り様”や“書き物”が好きで、BOOK-OFFで見付けたら必ず買ってくるのだが、今回は、話が一杯詰って居そうな分厚い本なので、じっくり読ませて頂くことにしよう。(笑)

この本の帯に、「米原万里は発明王だった!」とある。
この意味は、良く分かる!
この著者は、問題や課題に対して、批判したり愚痴るだけではなくて、「こうすれば良いのに!」とか「こんな方法はどう?」と、常に、(建設的な)改善案や改良案の提案をされているのだ。これらは、人によっては「発明」と見えるかもしれない。
ただ、中にはあまりにもロマンチスト的/風で、頂けないのもあるが。苦笑

・・・とまあ、こう持ち上げ下げしながら、初っ端の『夢送り込み装置』を読んだら、いきなり安倍晋三氏(当時官房長官)の「戦術核保有(案)」に対する(著者の)否定感情を、“夢注入装置の話”と結び付けて書いてある。

“こりゃぁ、端から縁起でもねぇ!”と思いながらも、この人物(米原氏)にどう話せば「戦術核保有」の重要性を、納得させられるか?それを考えるのも、また一興かな?と。(尤も、既に物故された方ではあるが・・・)



決断力  (続) 「八月二十四日」
『決断力 羽生 善治著 角川oneテーマ21』 (承前

最近の将棋界でも、かっては「邪道」とみられていた手や戦型が流行っているという。
つまり、従来の常識であった事が、覆(くつがえ)され、新しい知識や技法で覆(おお)われて来ているということだろう。

それは、将に、「学問」や「技術」の世界と同じで、広く深く知り、今までに無かった「新しい手法」が使えるようになるわけだ。
通常、それを「進歩・発展」と言うが、将棋の世界でも、それがあると言われて、なるほどと感心した!

他方、日本の政治や外交の方は、どうだろう?
(世界の)世の中は、何処も騒然として来ているのに、一向に進歩も発展も見られない現状で、本当に良いのだろうかと思ってしまう。

今までは“変えないこと”が常識だったが、もうそろそろ「進歩・改革」をしても善いのでは無いかと思うが。
(例えば、一票の格差なんて、みみっちく拘っているようでは、「進歩」なんて覚束無いがな)

安倍首相に、“進歩・改革をやる気”があるかどうかだが、もしあれば、もっと総裁任期を伸ばしてもいい。
今、巷では、安倍政権の任期延長の可否を騒いでいるそうだが、そんな事よりも大事なのは、安倍氏が「日本の政治の進歩(世界に対抗出来る?)」を考え、挑戦しようとしているのかどうかだろうな。



決断力  「八月二十二日」
『決断力 羽生 善治著 角川oneテーマ21 2008年12月 25版 ¥686+税』 (購入¥108税込み)

この本の表題は、「決断力」だが、中には一杯色々な(考えさせられる)テーマが入っている。

例えば、「将棋界にも、時代に伴う進歩・発展がある」ということも、そうだ。
言われてみると、なるほど!と分かる。
その話のひとつが、これ。

『「昔の棋士が、今の棋士と対戦したら対等に戦えますか」とよく質問されるが、これには、現代の棋士のほうが圧倒的に強いと断言できる。 過去の棋士が実力がなかったというのではない。彼らが今の時代に来て、同じ環境で将棋を研究すれば話は違う。 科学技術もそうだろうが、将棋にも時代の水準のようなものがある。時代が進むと、全体的な技術も進歩する。 特に、この二、三十年は、将棋界は技術革新の渦の中にいる。・・・』
これに原動力は、「懸命に考える、工夫する気力」にあるのではないか?

それにつけても、今の「日本国憲法界(?)」の気力の無さよ!
時代が変わっても、一向に技術革新もないし、改善もされない。「それが、憲法ってもんです!」って居直っているようだし。(苦笑)
(あれは、将に“進歩しない、バカの一つ覚え”というものだろうな)



からくり民主主義  「八月二十日」
『からくり民主主義 高橋 秀実著 草思社 2002年8月 8刷 ¥1,800+税』 (購入¥200税込み)

この本も、大変面白い!
というか、現実は、悔しさや悲しさやあほらしさが一杯詰っていて、“もう笑うしかない”ってことなんだが。(泣笑)

テーマには、「沖縄米軍基地」、「若狭湾原発銀座」、「諫早湾干拓」、「上九一色村」などがあり、著者自身が地元を歩いて取材し、現状を有りの侭に書いてある。

現地はその場所なりに、賛成・反対の意見がバランスよくギッコンバッタンしているそうだ。(苦笑)

事故や事件がある度に、それをネタに騒ぎ回るのが、所謂共産党(議)員達であり、また中央のマスコミ、マスメディアらしい。
地元では、騒ぎがあるたびに、国や企業からの交付金や手当金が増えるので、表面は反対でも、事業存続は賛成というわけだ。

それにしても、沖縄辺野古地域での話が、物悲しい!(クソも、匂いを映さなければ、味噌になるらしい)

『 あらためてヘリポート建設予定地の辺野古の浜辺を歩いてみた。人影も無く、古く錆びた空き缶などが放置されており決して美しい海ではない。上空をテレビ取材のヘリが飛び「あっ、ジュゴン。すごーい」と「ニュース23」の草野満代氏が叫んだりするが、地元でジュゴンを見た人などおらず、シラけるばかりである。 「汚い海ですよ。ここは採石場から流れる赤土やら生活排水の垂れ流しですからね。いまさら、突然、“海は宝”とか騒がれてもねぇ・・・」(宮城実氏) 基地がくるから海は守るべき「美しい自然」になった。』
ま、何処の地域でも、地場産業の無い場所に、何かしら公害や危険要素が含まれた企業の導入・誘致は、「金づる」として歓迎され、また迷惑だとして反対されるわけだ。
そうした賛成・反対の微妙なバランスで、生計が成り立つ地域でもあるわけで、言うなれば、「国民の税金」や「公益事業の収益金」による生活保護が延々と行われている地域でもあるということらしい。

微妙なバランスといえば、住宅地近隣での保育施設の新設の話もそうだ。
片方は必要だというし、他方では子供達の声が煩いから反対だというし、結局、皆が“平等な民主主義的要求”だとすれば、永遠に決着することもない。

日本式民主主義って“民族内の古来の掟”とは違って、西洋人からの借り物だから身の丈に合わず、ぶかぶか!
折角、そうした混乱を避ける為に、ちゃんと階層的な制度設計(代議員選挙や議会や議長、国会議員や内閣、首相の選出など)がしてあっても、その意味を知らず。
国の専権事項にまで、県が従わず口を出すんだもんな。その何処が民主主義やら?(苦笑)



大往生したけりゃ医療とかかわるな  「八月十八日」
『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ 中村 仁一著 幻冬舎 2012年3月 8刷 ¥760+税』 (購入¥108税込み)

この本は、面白いし、大層為になる!
人間の「死に方」ではなくて、「終末期の生き方」について書いてある貴重なものだ。

(若い頃に読む)「人生とは?」とか「人は如何に生きるべきか?」など、単に生き延びることだけを考えている話と同じほど真剣に読むべき書だと思う。

この著者によると、人の終末期は「自然死・老衰死」が最高だそうだ。
自然発生する「エンドルフィン」が癒してくれて、苦痛は無く、安らかに(極楽へ?天国へ?)逝けるという。
ただ、問題は、こうした「自然死」で逝くためには、本人の信念と家族や周りの理解が無いと難しいとある。

だが、昨今の「家族」なんて冷たいもんで、年寄り・老人なんて病院に放り込んで置きゃぁ、手が掛からなくて楽チンだし、煩わしい自宅介護なんて真っ平!だと思っている人達も多いようだ。
そりゃ、徘徊対応や下の世話など、大変な労働を強いられるようだから、「家族」だけでは支え切れないのかもしれないから、泣く々々専門施設に託さざるを得ないのかも。
だが、他方で、病院や医者が「過剰なまでの(無駄な)手当」をしてくれないと眼を剥くし、介護士達が厳しい処置や対処をすると、やれパワハラだ!やれイジメだ!と叫んで、自分達の側は、さも「愛情たっぷり」の振りをするイヤラシさもある。
マスコミ、マスメディアも、一般受けするから、殊更そんな話を取り上げるし
こんな周りの状況では、「自然死」が理想ではあっても、なかなか難しそう。

この著者は、老衰期の人には何も手を掛けず、「ただ、見守るだけ」が、最善の手当てだ!という。
皆が、それに気が付けば、誰もが理想的な死に方に近付けるのに。
で、私はこの本の考え方を参考に、生きて・・・いや!死んでやろう/逝きたいと思っている。(笑)



Googleを支える技術 (第4章)  「八月十六日」
Googleを支える技術> 西田 圭介著 技術評論社』 (承前

私などは貧乏性なので、直ぐ「事業に関する設備や経費」が気になる。
当然、その事業に対する「収入」の方とのバランスもだ。

規模が大きくなるにつれて、システムのハードウェアは増大する一方だが、拡張し易い様な設計にしてあるそうなので、そちらの方は問題は無さそうだ。
また、ソフトウェアの方も自前の開発メンバーを抱えているから、ある程度は安定しているらしい。

問題が起きるのは、「巨大になる消費電力」や「データ・センター維持」の方らしい。
(下請け的な)データ・センターが、需要見込みを誤って、データの増大量に耐え切れずダウンし、挙句に廃業に追い込まれたケースもあるという。
何とも、悲惨な話だが、自社の必要機能を見誤った企業は、倒産して当然なのかも。
Google」の成長に伴って生じる、過大な負担を予想出来なかったのだろうな。

そこで、Googleは、米国内各地に自前で、巨大なデータ・センターを設けて来たという。この本では5箇所の例が示されていて、全投資額は30億ドル、電力は合計で300MW。
原子力発電所1基で、およそ1000MWだから、その1/3は喰ってしまうということらしい。それにしても、凄まじいサイズだ。

こんな話を読むと、それを事業として立ち上げて、其処まで引っ張り上げて来る人物って、どんな人?って、気になる。また、それを書いた本も探してみよう!



Googleを支える技術 (第2章)  「八月十四日」
Googleを支える技術> 西田 圭介著 技術評論社』 (承前

Googleのデータベース・システムは、世界中から集めた情報を分類して、兎に角、只管書き込んで行くだけだそうな。
決して、編集の為に読み出したり、間違った情報でも書き直すことはしないという。
(つまり、“停滞”や“後戻り”はしないってこと)
それは、「膨大な蓄積」と「高速の検索」に主眼を置いてある為らしい。

これを読んで、ギクッ!となった。
私達日本人種なら、ここまで、割り切った考え方や、追求の仕方が出来るかどうか?
確かに、こうした(技術)思考は、教われば“なるほど!”と分かるし、その真似は出来るし、もっと良いものに仕上げることも出来ようが、結局は、そうした「思考の後追い」しか出来ないわけだ。

・・・だが、それは悲しいことか?と自問してみると、必ずしも、“悲しむこと”でもなさそうに思う。
そうした「先行した思考や技術」も、「使う側」や「消費者」が居なければ、社会的に意味があるとは言えないわけだし。

だから、私達日本人種は、その「後流」を上手く泳いで行き、兎に角、使えるだけ使ってやれば良いわけだ。
まぁ、「速い流れ」について行くには、それ成りの「努力」はしなければいけないだろうけど。
(これは、昨今の時代遅れの有識者やジャーナリスト達への皮肉でもある)



Googleを支える技術  「八月十二日」
Googleを支える技術> 西田 圭介著 技術評論社 平成20年8月 6刷 ¥2、280+税』 (購入¥200税込み)

今やそれ無しでは済ませられない「ネット情報検索」の時代を、強力/強引に?推し進めつつあるGoogleの凄さのヒミツは何かな?と、この本を買って来た。

細かい技術的な話について、詳細は難しくて追えないが、およそのことは分かる。
やはり、単純な基本技術群の「組み合わせ」と「積み重ね」と「統合」のようだが、その地道な改良・改善によって、今の凄さが実現出来ているのだろうなと読めた。
ま、それは当然のことで、緻密さと高速性で組み上げないと、「巨大システム」は使い物にならないらしいからなぁ

(膨大な情報の大海から必要な情報だけ選び出す「検索手段」が欲しいという)時代の要求に乗れたわけだが、昔は書店や書物、雑誌、新聞などでしか得られなかった様々な知識や情報も、ネットを通じて簡単に手に入るようになった。

それと共に、一面では“有り難い”が、他方では“余計なお世話”広告なども多くなって来た。
あなたがお住まいの○○町で、今、家を売っては損ですよ!XXにご相談下さい!]だって?誰が売るかっ!

こうした、余計で雑然とした情報が溢れかえり、やがては、そこらじゅうが「情報の砂漠」になって来るのではないかという心配もある。杞憂であればいいが。

また逆に、選択された情報群が、密かに強制的に与えられるようになると、「洗脳」という問題も出て来そうだが。
Googleが採用している「ランキング関数」が、将来どんな形になって行くのかが、興味もあり、恐怖でもある。



いま「ゼロ戦」の読み方 (再)  「八月十日」
『いま「ゼロ戦」の読み方 ソフトの格差が勝敗を分ける 日下 公人、三野 正洋共著 ワック出版部 1998年4月』 (承前

先日、92歳の叔父が大往生した。
太平洋戦争末期、飛行機乗りだったこともあって、亡くなる直前に、「ゼロ戦」特集の古雑誌を買って病院へ持参して、見せたら頬を緩めていた。

で、改めて、この本を読み返していたのだが、読めば読むほど、私達日本人側の“智恵の出し足りなさ”、“努力の為し足りなさ”が露呈して来るので、歯痒くて仕方が無い。
でも、ああすればよかったのに!とか、こうすればよかったのに!という反省が有っても、それが、的確に活かされて来たことは、殆ど無かったように思う。

それは、どうやら、“他人(担当者や責任者、果ては政治家達)への責任転嫁”でことを済ましてしまうからではないか。
その役割の連中も、“国民の声がどーたらこーたら”といいながら、チンタラ作業で、責任逃れを続けるわけだ。

もし、自分自身が負担するとしたら、出来ることは何か?どうすれば、その責任の一端を担えるか?を、常に気にして、日々頭を働かせて物事を決め、身体を動かして対応して行かないといけないのに!

例えば、“日本は平和を望み、戦争をしない国”とか「日本国憲法」に書いてあるけど、それをどうやって担保するかについては、“戦力を放棄するだけ”などと、無責任で無意味なことを書いてある。
しかも、その憲法を、“平和憲法だ”などと、平然と子供達に語る。(どこが平和やねん!)

私は最近、今の「日本国憲法」は、もうジャンク品ではないか、と思うようになった。
今世の中に残っている「ゼロ戦」と同様で、多少手直ししたとしても、もう「お飾り」にしかならないものだってことだ!(苦笑)



.靖国神社のすべて (続)  「八月六日」
『帰化人が見た靖国神社のすべて 日本人は「靖国神社」にお参りしよう! 石 平著 海竜社』 (承前)

この本は、私達日本人種として、色々考えさせられることが多い。
靖国神社」の成り立ちには、ちゃんと起源と理由がある。
その前身は、明治2年(1869年)に当時の新政府が創建した「東京招魂社」だそうだ。

そして、その背景には、欧米列強のアジア侵略に対抗するために、「日本」という国として団結しなければ!という強い思い(恐怖感?や責任感?)があったそうだ。

その頃のアジア各国は、欧米列強に植民地化され、その為すがままなっていて、「(自主的な)国」として存在出来なかったのだが、日本国だけは、そうされまいと「日本国」を立ち上げたわけだ。

その「国」の為に滅私で仕事をし「国」の為に殉職した人達の「弔い」と「鎮魂」には、通常の家族・親類の葬式やお墓だけでは不十分で、やはり「国」全体行うことは重要なことだと皆が理解していた。

ところが、戦後も遠い時期になって、政治家、特に「日本国首相」が参拝するのは戦争犯罪に結び付く!(?)などと、珍妙な理屈を付ける連中が現れた。
おまけに、その尻馬に乗って騒ぐ(似非)日本人達も現れる始末。

私達日本人種は、お人好しだから、他人・他国が声を荒げると、ついそれに同調して(?怯えて)しまう悪癖があり、素直に相手応じてしまうクセが抜けない。
結果、「あっち向いてホイ!」に、あっさり負けてしまうことになる。
私達自身が、何とかもう少し意地を出して、「余計なお世話だ!」「私達庶民の心を蔑ろにする悪だ!」と強く反発すべきだろうな。



.靖国神社のすべて  「八月六日」
『帰化人が見た靖国神社のすべて 日本人は「靖国神社」にお参りしよう! 石 平著 海竜社 2014年8月 1刷 ¥1、300+税』 (購入¥200税込み)

この著者もそうだとのことだが、日本に帰化した人達は、私達日本人自身よりも日本人らしい!と思う。
そりゃそうだろう!日本・日本人とは何かが良く分かって、それに魅力を感じたから、日本に帰化したわけだから。

逆に、私達(元々の日本人)自身は、あまり“自分達のことをよく知らないまま、日本人をやってる”らしい。(苦笑)
その証拠に、靖国神社の意味、其処への「政治家の参拝」なども、他人・他国からギャーギャー云われないと気が付かないか、逆に恐縮するほどの“無関心・無頓着ぶり”だもんな。

それはそれとして、この本で取り上げられている戦前の『教育勅語』は、これまで表看板だけしか見て来なかったが、この中味を見ると実に「質が高い!」と感心した。

その口語訳をネットで探したら、あった!(教育基本法改正情報センター 「教育勅語現代訳」

以前は、ヘンな戦後教育のお蔭で「天皇制」にも「民主主義」にも拘りがあった為、胡散臭く感じていたのだが、「世界の中の日本国」を知った今では、この『教育勅語』がどれほど私達日本人にとってピッタリ来るかがよく分かる!
ただ、文章の中の『天皇陛下』をそのまま現人神・人間とは考えないで、『日本の自然・風物を指す』のだと置き換えて考えると、すんなり理解出来るはずだ!

「米」や「うどん・そば」が日本人の食として適しているように、日本人が持つべき社会観・道徳観として『教育勅語的社会観』が相応しい!
「民主主義・自由主義」はバタ臭い欧米人のものだが、素味・粗食の日本人には、こうした独自の「日本人的な思想や観念」がよく合うはずだ。



一手千両  「八月四日」
『一手千両 「なにわ堂島米合戦」 岩井 三四二著 文藝春秋 2009年5月 1刷 ¥1、667+税』 (購入¥200税込み)

この小説は、江戸時代の米相場を仲買する店の若い主人の短い期間での栄枯盛衰を描いたもので、面白いといえば面白いし、そうでないと思えばそうでもない感じ。

無手勝流で素人探偵のように、悪徳商人の悪を暴こうと立ち向かう様は、ちょっと危う過ぎる筋立てなので頂けないが、旧い相場を調べ直して、米の売り買いで勝てる作戦を練る処などは、知性を感じさせて、興味深い。

他方、昔の「米相場」にしろ、昨今の「株売買」にしろ、欲を出して“相場を張る”と大儲けがあれば必ず大損があるという事も、ちゃんと描けているし、その結末も!(内緒!笑)

先般、日本の「年金積立金管理運用独立行政法人」が、預かり資金運用の為に、株式売買比率を高める決定をしてから、今年度5兆円もの赤字を出したという。(毎日新聞記事

役人連中が、国民の金で「博打」なんかやってどうすんだ?・・・阿呆か!と思っているのだが、政府の連中も一向に止める気配が無いのは困ったものだ。
彼らを監視・指導する機能が、政府にも無いらしいから、余計の拙い!

関係者達は、“長い眼で見れば損はしない・・・”などと云ってるが、その内大損を続けて大赤字になるのは必定だ。
だが、誰も責任を取らずに、うやむやの内に、税金などで始末されてしまうことだろうな。

むしろ、「賭け事」は、胴元になってテラ銭を稼ぐのが一番で、それは「宝くじ業務」で実績があるし、また大阪市長などが考えている「カジノ運営」などの方が、ずっと堅実で賢いやり方なのに。

しかし、私が投資した株式も、記録を始めてからの「配当益+売却益」は6万円強だが、現在、元本割れがマイナス28万円にもなっていて、他人の“損失話”も、実は他人事ではないのだ。(苦笑)
まぁ、記録開始前に、プラス20万円近くの「売却益」があるので、長期・トータルで見れば、ほぼトントン、「儲け」はゼロなのだが、それは言い訳に過ぎない。
望ましいのは、「株価」が購入時と変らずに、「配当益」だけが手元に積み上がってくることだが、もしこの先デフレに落ち込めば、どうなることか。
だから、「アベノミクス」を何とか補強せねば!




ヒトゲノムのしくみ  「八月二日」
『ヒトゲノムのしくみ 大石 正道著 日本実業出版社 2001年1月 1刷 ¥1、500+税』 (購入¥200税込み)

ある記事で、「人工交配」によって作り出された新種植物・果実、例えば「美味しいお米=稲」などは、歓迎するのに、なぜ「遺伝子組み換え」による害虫に強い作物などには、強い抵抗感を覚えるのか?という問いに、私自身も明快な答えが無く、少し疑問を感じて、出来るだけゲノム・遺伝子・DNAについての知識を、少しでも増やそうと思った。

この本はそのひとつだが、図入り事典風に纏められいて、読み易い。
一方、知識が細切れになっているので、始めにざーっと読んで、後からそれぞれの項目を見直す読み方の方が良いだろうと思っている。

・・・とは思うものの、各項がなかなか難しくて、さーっ!とは通り過ごせないで、未だにもたもた中。

少し理解が出来たのは、「遺伝子組み換え」はその成果・結果が、あまり「長い時間経過」を経ないで出てくることだ。
他方、「人口交配」などは、周りの環境変化などの「試練」を受けながら幾世代にも渡って変化させるものだから、「長い時間経過」が不可欠なわけだ。

もしかして、その「時間経過」が重要な因子なのではないか?その点を疎かにしてはいけないのではないか?そして、その必要な長さは幾許なのか?
そうした観点は意味があるのかを、もっと知りたいと思っている。



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