物事追及集 二〇一六年六月版
PHPによるWebアプリケーション スーパーサンプル 「六月二十九日」
『PHPによるWebアプリケーション スーパーサンプル 西沢 直木著 ソフトバンク・パブリッシング 2002年10月 1刷 ¥3、600+税』 (購入¥200税込み)
以前、大きい方の孫息子が、「PHP」で書かれたサイトのメンテをしなければいけなくなったとかで、書籍探しを頼まれたことがある。
その分は、既に1冊買って来て渡したのだが、私の方は「PHP」って全然馴染みがなかったので、どんなものなのかが、気になっていた。
多少、興味もあったので、この本を買って来たのだが、とても分厚い本だ!(苦笑)
でも、サラッと全部読めてしまった・・・とはいっても、実際使う時には、何度も頁を捲くる作業が必要なのだが。
この本は、索引がしっかり用意されているようなので、多分使い易いだろうと思う。
さて、「PHP」とは何か?というと、「HTML」などが“静的・受身的具”(能動性はJavaScriptなどが受け持つ)であるのに対して、「PHP」は、「Visual BASIC」のような“能動的”なものだと分かった!
つまり、「HTML」が、ブラウザ側に解釈を委ねざるを得ない(受身的な)のに対して、
「PHP」は主体的・積極的に(プログラマが望むような)状態を造り出して行くことが出来る。だから、変数を与えればそれの計算や、状況に対応した分岐処理などが、能動的に出来るってわけだ。
また、「PHP」は、「データベース」(例えば、「SQL」など)を扱うのにも適しているらしいが。
初めてのAndroid (2) 「六月二十七日」
『初めてのAndroid エド・バーネット著 日本Androidの会監訳 長尾 高弘訳 オライリー・ジャパン』 (承前)
例題「数独」(ナンプレ?)のプログラミングから始まって、色々な解説を読んで、こりゃ、やはり覚えなければいけないことが沢山ありそうだと思った。
実際にプログラミングをする際には、これ以外に「ハンドブック」的なものが必要だな。
読み進めて来て、Androidの特長のひとつであるセンサー類の話が出て来た。(図1)
+加速度センサー
+照度センサー
+磁気センサー
+傾きセンサー
+距離センサー
+気温センサー
+トライコーダ(Star Trek風?)
こうしたセンサー類の応用には興味津々なのだが、実際にプログラミングをする場合は、相当苦労させられると思う。
センサーから得られる値をどのように解釈するか、微妙なバラつきなどをどう平準化して適切な処置をするか、などかなりノウハウが必要だからだ。
また、「試作プログラム」を机上でテストするための「エミュレータ」からは、そうした「センサーからの出力(値)」は、提供してくれないので、「試作プログラム」は一旦実行形式に落として、スマホ現物に搭載し、テストしてみないといけない。
だが、それがなかなかスムーズ/シームレスには行かないから厄介だ。
それを考えながら、(一部の)若い人達が熱心に取り組み、苦戦している「ロボット・コンテスト」を思い浮かべていた。
事前の実験では上手く動いていたのに、環境が変ると、思うように性能が出ない、あるいは機能が働かないといった状況にも頻繁に遭遇するわけだし、それで直ぐに挫けていては何も仕上げられない。
いずれにしても、彼らの(プログラム創作への)挑戦意欲・情熱は、大したものだと思う!
初めてのAndroid 「六月二十五日」
『初めてのAndroid エド・バーネット著 日本Androidの会監訳 長尾 高弘訳 オライリー・ジャパン 2009年5月 1刷 ¥2、200+税』 (購入¥200税込み)
スマホを買い込み始めてからまだ日も浅く、その操作にすら梃子摺っているのに、プログラミングなんてまだ早い!とは思ったが、もう頭の方が固くなっているから、色々な方向から揉みほぐして行かないと間に合わない!(肩凝りか?笑)と思ったので、こんな本を買って来た。
こうした専門書は、「用語の意味」を知らないと、読んでもちんぷんかんぷん(珍ぷん漢ぷん)なのだが、まずは全体をサラッと読んで(眺めて!)しまおうと思っている。
この日本語訳はまぁまぁだが、原著者の語り口はなかなか好もしい!
この著者は、序章で『・・・読者は、何かをするために最小限必要なことだけを読みたいと思っているものだし、他のことを知りたくなったときにまた本に戻ってきて別の部分を少しだけ読むものである。・・・』と書いて居られるが、(私の今までの経験からも、)まったくその通りだと思った。
それにしても、この本の中味は結構な分量があるので、見(眺め!)応えがありそうだ。(頑張らなくっちゃ!)
蛇足:
その昔、アセンブリ語でプログラミングをしていた頃に比べると、昨今の高級プログラミング言語は、処理系も高速になっているからだろうけど、大層なお喋り語だと思う。
例えば、一行/一コマンド毎に[android:・・・]などと詳細に、かつ正確に書かねば/喋らねば通じないのだから。
私達日本人の好きな「阿吽の呼吸」なんて、全然ダメってことらしい。(苦笑)
今の日本国憲法の前文を、もしAndoroidに読ませて実行させようものなら、きっと“思考停止”か、“発狂”するに違いない!
幸福の王子・わがままな大男 「六月二十三日」
『幸福の王子・わがままな大男 オスカー・ワイルド原作 西本 鶏介監修 中山 知子文 A・ドミンゲス、T・プエブラ絵 小学館 1998年8月 1刷 ¥1、600+税』 (購入¥760税込み)
この本は、絵が気に入ったので、孫達用のつもりで買った。
だが、内容は古色蒼然としたキリスト教の教えに沿ったらしい内容なので、子供達なら黙って聞いているかも知れないが、これを読んでやる大人の方が違和感を持つだろうと思った。
勿論、普通の人間が持つ「他人への思い遣りの心」や「自己犠牲の精神」の必要性や大切さを教える上では、(過去には)適当な素材だったのかもしれない。
だが、今の子供達に自分の身に引き当てて理解させるには、「事例」があまりにも掛け離れすぎている。
例えば、銅像「幸福の王子」の眼に埋め込まれた「サファイア(宝石)」などが、王子の意思で「貧乏な家や人々」に配られる話などは、結構、残酷で非現実的だ。
「サンタクロースは実在する」と信じるのは、「プレゼントの現物」を自分の手で持てるからであって、何処かに、自分が感じられるリアリティさが無ければ、“単なる絵空事”でしか残らないだろう。
昔から、子供の為の童話として、外国モノが多く紹介されて使われて来たが、日本の大人達はちゃんと意味や効果を理解して与えて来たのだろうか?と改めて考えさせられた。
“子供には、何でも読ませておけば、それでいいんだ!”という考え方には、大人の側の無知・無策が潜んでいるような気がしてならない。
・・・これを吾が孫達に読ませるのは、止めた。
彦左衛門外記 「六月二十一日」
『彦左衛門外記 山本 周五郎著 新潮社 昭和49年3月 11刷 ¥600』 (購入¥108税込み)
あるBOOK−OFFの棚に、ずらっと並んでいたので、面白そうに思ったのでこの本ともう一冊買ってみた。
豈図らん(あにはからん)や!この「彦左衛門外記」は、全然面白く感じないのだ。
のっけから空想話で始まって、通常なら、話の次の展開が分かるともなく分かるのだが、それがほとんど出来なくて、突拍子も無い話が続いて行くので、面食らってばかり。
この作家のは、『樅ノ木は残った』など良い作品ばかりだと思っていたが、これは頂けない。
11刷だからベストセラーだったのかもしれないが、私向きではない。
(始めは丁寧に読み始めたが、段々面倒になり、途中まですっ飛ばして、やがて投げ出してしまった。ちょっと勿体無い気はしたが、これは諦めて、もう一冊の方に期待しよう!)
ナノフューチャー 「六月十九日」
『ナノフューチャー 20世紀の産業革命 J・ストーズ・ホール著 斉藤 隆央訳 紀伊国屋書店 2007年3月 1刷 ¥2、400+税』 (購入¥200税込み)
この本は、技術者向けに書かれているのだろうが、かなり専門的な話が、ひょいひょいと出て来る。
だけど、結構読み易いし、色々啓蒙されることが多い。
今は、微細加工された「シリコン半導体」が電子機器を席巻しているが、将来は間違いなく多種多様な材料で作られたナノ・マシン類が幅を利かせる時代になるだろうということ。
つまり、現在のナノスケール・テクノロジーから、ナノテクノロジーへと進むってことらしい。
それは、今は工場でナノスケールの製品を作っているが、未来には工場そのものがナノスケールなるってことだ。
現実には、生体細胞内で、そうしたことが日常的に行われているそうだが、 ・・・ 気が付いてみればその通りだ!
分子・原子レベルで、整然と組み換えや加工が行われているのは、間違いない。
(それには、レシピとして、「遺伝子」の持つ情報が関わっているに違いないと想像しているのだが)
他方、今はまだミクロン(マイクロ)サイズだが、微小ミラー群を作りこんだDLPなどは、稼動部を持つミクロ・マシンのはしりではないかと思う。
また、スマホに使われている各種のセンサー類(TOUCH&SLIDの解説:重力センサーや加速度センサー)も、最先端の「微細加工技術」によっているらしいので、興味が湧く。
この本には、まだまだ様々・多種な「ナノテクノロジーの将来像」が描かれているようなので、じっくり読ませて貰おうと思っている。
スマートガイド F−02E 「六月十七日」
『スマートガイド F−02E 技術評論社編集部著 技術評論社 2013年4月 1刷 ¥980+税』 (購入¥108税込み)
スマホを始める(!)に当たって、多少なりともハンドブックめいたものが必要だろうと、「BOOK−OFF」で拾って来た。
(最近は、多くの書籍が二百円に値上げされているから、百八円本なら、もうゴミか?(笑)
眺めてみると、ショートカットの絵柄などは、機種毎で多少違うような気もするが、それらの操作性は、メーカーが違ってもほぼ同じみたい。
だが、こうしたガイドブックは、“玄関”だけの話で、例えば、“勝手口”の「無線LAN(WiFi)が繋がらない!?」なんて話は載っていない。(あったり前田のクラッカー♪)
時々、知らない言葉に出くわすと「索引」を見るのだが、やはり、「目次」よりも「索引」の方が有用かつ重要だと思う。
その点からは、このガイドブックは、たったの2ページしか「索引」が無いから、“お粗末!”の部類かな?(でも、値段からすれば、こんなもんか。苦笑)
ところで、私は「(携帯出来る)地図」に興味があるのだが、これには「Googleマップ」しか無い。
パソコンでは、「Yahoo!地図」の方が使い易い感じなので、そちらの方も呼び出せるようにしたいと思っている。
(残念ながら、この本では、どうやればそれが簡単に出来るかについては、ストレートには書かれていない)
ディーゼルこそが、地球を救う 「六月十五日」
『ディーゼルこそが、地球を救う 小川 英之、清水 和夫、金谷 年展共著 ダイヤモンド社 2004年4月 1刷 ¥1、600+税』 (購入¥200税込み)
昔々、私の若い頃、主翼長約50cmほどの模型飛行機をバルサ材から削りだして自作した時、それに積んだエンジンがディーゼルだった。
小さくて馬力が出るという特長があったが、始動や圧縮比の調節が微妙で難しく、爆音も結構大きかった。(Googleのエンジン例)
自家用車を持てるようになってからは、流石に、“ディーゼル車は音が大きいから・・・”と敬遠はして来たのだが、やはり高効率という点から、気になっている。
この本は、ディーゼル・エンジンは、見放さずに熱心に皆(社会や開発・販売会社)が取り組めば、従来のガソリン・エンジン以上のメリットがあるから、是非、取り組み続けよ!という話。
そのミソは、開発が進んで来た「電子燃料噴射システム」にあるらしい。
エンジン(シリンダー)内での燃料の燃焼を(ごはんのように!)“始めチョロチョロ”、“中ぱっぱ”と絶妙にコントロール出来れば、不良排ガスを抑え、騒音も減らせる可能性があるそうな。
ディーゼル・エンジンは燃焼効率の面からは、圧倒的にガソリン・エンジンより優れているのだが、なかなか排ガスのクリーン化が進まなかったせいで、悪者扱いされて来た。
それに、今の日本では、「総合的な高効率性・クリーン性」を追求するよりも、車一台ずつをスポット的に見るだけで、系全体は見ない傾向が強い。
例えば、多くの荷物を運ぶのに、1台の10tディーゼル・トラックよりも、10台の1tガソリン・トラック群を使う方が良いと考えるってことだ。
現実には、1台のディーゼル・トラックよりも、10台のガソリン・トラックの総排ガス量の方が多いにも関わらずだ。(要するに、“木を見て森を見ず”の類)
研究開発側も、ユーザの人気が低く販売台数が見込めなければ、あまり力を入れて開発しない/出来ないというジレンマがあるのは現実だ。
(強引にやらせ得る優れた指導者が減って来ているからでもあるが)
だが、将来のハイブリッド化に対しても、やはりディーゼルの方が有利だし、それに、欧州ではディーゼル車の人気は高いそうだから、日本も、もっと人と金を注ぎ込むべきだという。
トットの欠落帖 「六月十三日」
『トットの欠落帖語 黒柳 徹子著 新潮社 1990年9月 21刷 ¥1、068+税』 (購入¥200税込み)
この本は、文句無く面白い!
読んでいて、無理なく大笑いや含み笑いをしてしまう。
手っ取り早く言えば、この著者の失敗談集なのだが、それらは単に現代人の常識から少し外れているだけの話で、別に人を刺すような「外れ」などではなく、むしろ善意から出ている「欠落」が多いから微笑ましい。
私達普通人は、日常生活を手軽で楽に処理するために、「常識なるもの」を多用しているのだが、それはあくまでも“便宜上の知識や振る舞い”に過ぎない。
それを多少外れたからって、目くじら立てて非難・批判することではない。そんなのは、“小姑の小言”と同じだ。
むしろ、ご本人は後で苦笑しながら反省もしているのだから、私達常識人も、一緒に笑ってあげれば済むことだ。
とまぁ、そんな事を考えながら読んでいたのだが、良く見たらなんと!「21刷」だそうで、大変なベストセラーではないか!
今頃、私などが面白がってるなんて、私の時代遅れも甚だしいってわけだ。
でも、もうそんな昔の時代を知らない若い人達も多そうだから、記録しておくのも悪くはないかもしれない。
因みに、この著者(黒柳徹子さん)の古本を探してみたが、廉価なものはなかなか見付からない。見付けたら、速攻で買っておこう!
声に出して読みたい日本語 「六月十一日」
『声に出して読みたい日本語 斉藤 孝著 草思社 2001年10月 11刷 ¥1、200+税』 (購入¥200税込み)
私は、こうしたハウツー本には、あまり眼を向けないのだが、今回は何とは無しに手に取ってみて、“これは面白い!”と買って来た。
収録されている文言に、「般若心経」(経典)や「寿限無」(落語)、「五重塔」(幸田露伴)のさわりなどがあり、以前少し耳にした事があっても、ちゃんとは読んで/覚えていなかったものだ。
採録されているものは、なかなかリズミカルで、子供達に読んで聞かせても良いのではないかと思うが、取り敢えず読んでみると、自分の口がどれほど動かなくなっているかを思い知らされた。(うーむ、もごもご!)
この本にも触れられているが、今の私達は、もう昔の「リズミカルで味わい深い日本語文」を口ずさむ事が少なくなっているのではないかと思う。
その代わりに、外国産の肉感的・攻撃的な激しいリズムを取り込んだ新しい形の歌が得意な人達や若者達が、多くなっているようだが。
願わくば、日本の風土に合ったリズムの良さを、若い世代も知っておいて欲しいものだ。
・・・別に、教養・素養とかいった難しいものでなく、単に「日本語のリズム」だけでもいいと思うが。
遺伝子の川 「六月九日」
『遺伝子の川 リチャード・ドーキンス著 垂水 雄二訳 草思社 1997年8月 7刷 ¥1、800+税』 (購入¥200税込み)
遺伝子関係の本を読むと、必ずこのR.ドーキンス氏の名前が挙げられている。
それほど、この著者は先駆的な仕事をされて来たのだろう。また、今では、氏の考え方は、多くの科学者達に受け入れられているようだ。
ところで、この本を読んで、私が十分理解出来ていなかった「ミトコンドリアDNA」なるものが、また少し分かったような気がする。
実は、「ミトコンドリア」は一種の「バクテリア」であって、生物の細胞の中で共生している一種の生き物だそうな。
だが、「バクテリア」とはいえ、染色体のコピー&分裂による繁殖は出来ても、もう今では単独で細胞外へは脱出出来ない存在らしい。(脱出しようとして失敗した痕跡が細胞内に残っているそうだが)
言い方を変えると−「細胞」は、バクテリアが封じ込まれた(バクテリアの?)楽園−なんだそうだ。
その「ミトコンドリアDNA」は、母方からしか受け取れず、その細胞分裂によって、卵子が赤ん坊になり、子供から大人へと成長して行くわけだ。
父方からの精子にも、少しは「ミトコンドリアDNA」が含まれているが、それは殆ど受精には役に立たず、仕事を終えた後は捨てられてしまうのだとか。
何だか哀れな感じがするが、「遺伝子」という観点から「男性という生き物」を見ると、そんなものらしい。
この本の前半は、少し読むのがもたついたが、「4.神の効用関数」からは、俄然、具体例が分かり易く面白さが増した。
「効用関数」とは、簡単に言えば“どうすれば得か?または、役に立つか?”という関数の話で、一種の合目的性のことであろう。
この著者に依れば、『遺伝子にとっての効用関数は「自らの生存を最大化すること」であり、神の効用関数は必ずしも最大多数の最大幸福を意味しないし、その本来の姿は、自己本位の利益を求める協調性のない争奪戦だ』そうだ。
人間社会を見ても、確かに、そうかもしれないと思う。だが、個々人お互いの「連携」を意識するようになれば、また違った形が期待出来るかもしれない。
お金のことでくよくよするな! 「六月七日」
『お金のことでくよくよするな! リチャード・カールソン著 小沢 瑞穂訳 サンマーク出版 1999年3月 1刷 ¥1、600+税』 (購入¥200税込み)
この本は、一種の人生訓のようなもので、沢山の項目(96項)から成る。(図2<クリック>はその一部)
納得出来る話もあれば、それは見解の相違だ!と言う項目もあるが、概ね常識的なことで、極端に否定・批判するような話は無い。
これら全部、自分が実行出来るとか、それらが皆役に立つなどと考えるのは無駄だろうな。
逆に、今の自分を見て、出来ないことの方が多いくらい、いや出来ないことばかりかも。
だが、これだけは丁寧に、熱心にやろうと思っている課題もある。
例えば、004の「穏やかな情熱の効用」と027の「失敗してもいい」辺りかな。
逆に、012の「とっさに反応せず、じっくり応じる」は、出来そうで出来ないこととして、置いてある。(苦笑)
自動車の前への人間の「飛び出し」には“即応じる構え”はあるのだが、「将棋の早指し」では、とても“慎重さが足りない”ことだ。
これらは、死ぬまで改善を続けようと思っている。
楚国簒奪 「六月五日」
『楚国簒奪 桐谷 正著 祥伝社 平成14年6月 1刷 ¥1、800+税』 (購入¥108税込み)
歴史小説とは、(多少信憑性のあると考えられている)歴史書のほんの一行だけ書かれた内容から、著者の想像力と創造力を脹らませて、情景や人物を、さも真実らしく描いたもの・・・とは知っているのだが、(この本の“あとがき”に)そうはっきり書かれてしまうと、実も蓋も無い感じがする。
その話が、今となっては何処までが真実で、何処からが作られたものなのかが、曖昧な方が愉しめるからだ。
どちらかと言えば、私の場合は、“全てが真実であって欲しい”と思うクチなのだが、幼かった昔は、“誰も見ていない場面を、なぜ、この著者だけが知っているのだろう?”と疑問に思ったこともある。
結局、これは私の頭が事実関係だけで物事の筋道を見ようとする「理系」だからだろう。
他方、「文系」の人達の多くは、そうした作られた話でも、疑わずに信じ込んでしまう、時には「夢」(そればかり)を見てしまうわけだ。
それで、人生が豊かになるから結構だ!という説もある。
・・・でも、自力で生きて行こうとした時、やはり「夢」だけではだめだな。
自力で、こつこつと現実を埋めて行かねばならないからだ。
(「夢」だけで生きようとすれば、やはり、他人に“オンブダッコ”して貰わねばならないから、それは一人前の人間なら、大変恥ずかしい話だ)
子ども論を読む 「六月三日」
『子ども論を読む 小谷 敏編 世界思想社 2005年9月 3刷 ¥2、000+税』 (購入¥200税込み)
この本は、表題に惹かれて買ったのだが、(せっかちな)私には合わない細かい内容羅列群だった。
問題なのは、“事件・事例の羅列”なのだが、著者が何らかの「結論」を導き出すための「導入」としてなら我慢も出来るのだが、読んでいて“一体何が云いたいの?”と詰問したくなるほど、だらだら話が続くだけ。
論文として望ましいのは、「こういう仮説を立てたが、その論証としてこんな事件やこんな説が、その証拠・証明になる」といった形式が採られていることだ。(私は、こうした形式を「帰納法」と勝手解釈している)
勿論、仮説を先に立てずに、色々な証拠群からある結論を導き出すように、話を纏め上げて行き、最後に「結論めいた仮説」を示す形式もある。(私は、そうした形式を「演繹法」と勝手解釈している。実は、帰納法も、演繹法も、本来はもう少し違う意味なのだが)
いずれにせよ、研究論文や論説なら、論理的な筋道を示して、読者を納得させる必要があるのだが、それを外したものは「小説」や「詩」など文学作品と何等変わりない。
この本の始めの方がそうなので、後の方は、著者が違うのだろうが、もう読む気がしなかったし、別に読まなくても損はしないと思った。他に、もっと面白そうな本が、一杯あるからなぁ。(笑)
理系思考 (追) 「六月一日」
『理系思考 元村 有希子著 毎日新聞社 2007年10月 1刷 ¥1、500+税』 (購入¥200税込み)
私は、別に女性蔑視論者でもないのだが、昨今の「女性達の権利要求(セクハラ、パワハラ、モラハラ非難を含む)」を見聞きしていると、もう少し彼女達は「自己評価」を厳しくした方がいいのでは?!と言いたくなることが多い。
この著者も、「理系思考」を謳いながら、意外に視野の狭い、非科学的(非論理的)な考え方しか出来ていないようだ。
『女性と科学』という項で、米ハーバード大のサマーズ学長が“女性は生まれつき科学が苦手だ”と発言した際、強い抗議の声が上がったことに関連して、(女性擁護の立場からなのだろうが、)『「科学技術分野に女性が少ない」原因は社会環境と教育だと思う』と書いている。
・・・ だが、その“原因”は違う!もっと深い処にあるってことに気が付いていないようだ。
どんな学問にせよ、何かの課題を追求するには(相応しい)「資質」というものが必要なのだ。
本人の飽くなき「好奇心」や「探求・追求心」といった気質に加え、それらを実行・充足して行くための「挑戦欲」も必要なはずだ。
幾ら教育を与えても、あるいは環境を整えても、本人に「資質」が無ければ、「成果」は挙げられないのだ。
「成果」が出せない原因を、“教育不足”や“環境不備”などの“別のモノ”にすり替えてしまっているわけだ。
なのに、女性達は、常に平気でこういう言い訳をする。
・・・周りの環境が悪いから、あるいは教育がされていないから、能力も発揮出来ず、成果なんか出せないわ!と。
つまり、誰かが「成果」の出せるような教育や環境を整えてくれれば、ちゃんと「成果」は、出せるはずよ!っていうわけだ。
挙句に、必要な厳しい自己鍛錬などはせず、敢えて他人が厳しい指導をしたら、“だって、出来ないんだもん、仕方ないでしょ!”で、それをセクハラやパワハラってやつに、スリ替えるわけだ。
まぁ、科学技術や科学研究の分野では、「好奇心、探究心」が一番重要で、それがあれば、女性でも男性でも「科学分野で研究の仕事」が出来よう。
もし、そうした「心」のある女子なら、きっと「優れた科学女子」になれるだろう・・・と書いて欲しかった!