導育甘言集 2014.03   表紙頁]へ   我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ

中国で尊敬される... [0329]
『中国で尊敬される日本人たち 「井戸を掘った人」のことはわすれない 朱 建榮著 中経出版 2010年9月 1刷 \1,500+税』 (購入\200税込み)
この中に、戦後日本国内の反対意見・抵抗を押し切ってシナ|中国との国交を回復させようとした故田中角栄元首相や、故大平正芳元外相の話が出て来る。
その中で、挨拶?謝罪?の言葉「ご迷惑をお掛けした」を、揚げ足を取られ、大きな問題にされてしまったとのこと。
結局、“兎に角、日本は謝り方が悪い!ちゃんと謝罪せよ!”ということになってしまったようだし、故毛沢東氏の取り成しによってその場は納まったようだが、こうした力関係(?)が現在に至るまで、ずっと尾を引いているように、私には思える。
国家同士や、政治家同士がお互いに“尊敬”し合ったりすることは、如何にも美談のように見え、聞こえるが、実は、いずれもその場限りの出来事であって、“儚いもの、軽々しいもの”でしかないようだ。 ... つまり、シナ|中国では、“尊敬”とは自分達に多大な利益を与えてくれる人に対して払う“敬意程度のこと”であって、それ以上のものではないように見える。(それのお返しは、“宴会&ご馳走”くらいしかないのでは?)
結局、“ご迷惑をお掛けした”とか“尊敬”という言葉も、私達日本人庶民・市民が感じる語感や意味からは、程遠い解釈がなされるということだろうな、と今更ながらに思う。

何を残せるか [0327]
日本人子孫せるか 加藤 正見著 グラフ社』 平成15年9月 2刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この本の帯に、中曽根元首相の「現今の精神風土に鉄槌を下し...」とある。
もうここら辺りから、大体内容が推定出来そうなものだが、買ってみて読んで見ると、分かる人にしか分からない話・事例が一杯!(つまり、引用事例が古臭過ぎ!)
これは、この著者の現状分析が、古き良き?時代の事例との比較でしかないから、「現在から将来への道筋」を描くのではなくて、どうしても「(しゃにむに、)過去へ戻そう!」という話になってしまうわけだ。
私としては、過去から現在までの流れを顧みて、これから将来に向かう流れの中で、(日本・日本人として、確実に)残せるものは何かを考えたいと思っているのだが、ここに書かれている“精神”や“態度”や“雰囲気”は、大半が将来必ず消滅してしまうだろうと思うようなものばかりだ!(結局、単なる“嘆き節”なのではないかと思ってしまう)
私は、もっと泥臭くても、ちゃらちゃらしていてもいいから、日本らしい・日本人らしいモノ・コトを、(骨太)遺産として残したいと思うのだが、果たして、今後、何が残せるのだろうか?(武士道か?ゴミだらけの富士山か?奈良の大仏か?それとも、カワイイ♪グッズか?...韓国人は、“捏造戦地売春婦土偶 ”や“安重根-犯罪記念館 ”などを景気良く?増築しているらしいが、あれを自然風化させるには随分年月が掛かるだろうな。怒

W/Lを共存させる [0325]
『WindowsとLinuxを共存させる 前川 武弘著 D ART』 1998年10月 2刷 \2,000+税』 (購入\200税込み)
(こうした技術書は、地方のBOOK-OFFではあまり見掛けないのだが、)偶々大阪・なんば店で見たので買って来た。(中身は、Win98TurboLinuxの、主にブート関係で、アプリは無)
通常のユーザなら、こうした「異種OS」の共存なんて混乱の元で、反って邪魔なだけかもしれないが、私にとっては、古くてもまだまだ新しいテーマなのだ。
昔から、UNIXには食い付き損ねて、Linuxは未だにちゃんと使えず。
だが、ジャンク・パソコンで、ハード&ソフトの色々な可能性を調べ、試してみたい時には、やはりLinux系も便利なことがあるから、捨て難いのだ。(勿論、DOSだって、そうなのだが)
例えば、(HDDなどを載せないで)マシンの「グラフィックス表示」を確かめたいと思ったら、CD-ROM版の「Puppy Linux」や「Knoppix」や「Ubuntu」が便利だし、USBメモリに組み込んでそれから起動することも出来る。また、不調HDDの元気回復に使える「HDD Regeneratorは“DOSモード”で働かせねばならない。
とまぁ、こんな試みは、山登りなどで直線的道筋を狙って、(並みの歩道を歩かず、)“藪漕ぎ”(ササ竹や雑草のやぶなどを掻き分けて歩く)をするのに似て、大して益は多くないけど面白いし、やっていないと“(総合)自力”が衰えると思うから、せっせと挑戦中。(笑)

右脳全開 [0323]
『七田式 右脳全開 催眠法 イメージ力を育てて新しい能力への扉を開く 七田 眞著 文芸社』 2002年8月 5刷 \1,500+税』 (購入\200税込み)
私は、以前から「右脳の能力」に関心があって、自分でも時々、(ツマミ食い的に)試みてはいるのだが、もう一つ華々しい成果を挙げることが出来ないでいる。(苦笑)
(まぁ、それでも構わないと思えるようにはなっているが、常に期待はしている)

この本には、“奇跡の事例”があれこれ挙げられていて、多少オカルティックな感じもするが、常識外の話なのだし、実際に自分で体験しない限りなかなか信じられないことだろうと思う。
先日、宇宙の始まりの重力波を検出したという話があったが、“宇宙の初期”を説明する「ビッグバン理論」や「インフレーション理論」も、殆ど常識外の話だから、これと似たようなもんだろうな。結局、実験と理論の積み重ねで、実証することしかないだろうと思う。
(しかし、今の広大な宇宙が、初期には芥子粒より小さな「点」でしかなかったというのは、信じ難いが事実らしい)

私が悟ったのは、「右脳活用」という目的設定と「実行努力」という行動は、自分なりのやり方でしか出来ないだろうなってこと!...そして、結果は“腕次第”であって、“凡人が奇跡を期待するのは無理!”と諦めながらも、“多少は、何かを期待してみること”だ。(笑)

最近、私は、「死ぬまでは、生き々々と生きよう!」をモットーにしているが、これには、やはり「右脳利用」が有効ではないかと思う。
先般から入院中の高齢(90歳手前)の叔父も、当初青息吐息で、大変弱気だったのだが、“何時死んでも構わないが、それまでは生き々々と生きてくれ!”って発破を掛けたら、見る々々元気を回復した!?今では、外出用の帽子が欲しいと言うまでになっている。d(^^;
(尤も、色々な見舞い客達から、“沢山の元気”を貰っているせいもあるだろうけど!)

孫子 [0321]
『男子戦わずして勝つべし 孫子 岡本 隆三、会田 雄次、草森 紳一、他合著 プレジデント社』 1991年3月 14刷 \1,550+税』 (購入\200税込み)
この本は、色々な著者の各自の選択眼で、「孫子の言」を整理・解説したもののようだ。
やはり、“百人百色的ノウハウ集”の感じがあって、“ふむふむ、なるほど...”と感心はするがそれ限りで、私にはあまり参考にならなかった。
つまり、物事はすべてケースバイケースだし、それに対する自分の取り組み姿勢は、大幅には変えられないから、「孫子の考え方」がすべて、上手く使えるわけでもないからだ。
先日の「インテリジェンスの話」(地球を斬る 下記)でも思ったが、情報が沢山あっても、自分が選んで上手く使える=実行出来る業・技は限られてしまうから、結局最後は、その“活用方法の巧みさ”で勝負が決まってしまうのだと思う。

そう考えると、やはり勝負に勝つためには、「剣道の素振り」や「柔道の乱取り」などのように、自分自身の基礎訓練を弛まず欠かさないことの方が、こんな「ノウハウ集」を見るより有効なのではないか!と思い当たった。
ただ、仕事に就く前の若い人達には、(沢山の知識を取り込んでおかないといけないから、)必須の読み物かもしれない。
(先日、国会の質疑の場で、“三権分立の図”を出して、安倍首相に何やら詰問?をしていた若い陣笠議員が居たが、物事を知らない人間ほど“新たに自分が知ったこと”をひけらかしたい気になるらしい。国会をそんな下らんことに使うな!と言いたいのだが、重要な国会に、こうした“知恵遅れ陣笠議員”が増えるのも「衆愚政治」の悲しさか!)

地球を斬る [0319]
『地球を斬る 佐藤 優著 角川学芸出版』 平成19年6月 1刷 \1,600+税』 (購入\105税込み)
この本は、噂でしか知らない世界の情勢や外交問題について、その現実の切り口|斬り口を見せて貰って、改めて眼が覚める思い!
そして、「現実世界」を観る|診る上で参考になる、沢山のヒントを頂いた。
やはり、外国との付き合いは、相手方や周囲の状況を丁寧に調べた(情報収集)上で、政治的に適切に行動しなければ、その国は負ける一方だな!と思う。

この著者は、こうした情報収集機能・能力(「インテリジェンス」)は、その国の国力に見合ったものになっているはずだ。日本は、それほど劣っては居ないと仰っている。
...しかし、私にはかなり不安感が強い。
というのは、如何に「情報収集能力」が優れていても、それを適切に拾い上げて、「適切に使う能力」が無なければ、常に無駄になる。
特に、(ぼんくらが多い)政府や国会が、重要な情報を的確に拾い上げて、それを巧みに国の運営に利用しているようには見えないからだ。
(古くは、福島原発事故の際に、米国から提供された詳しい“放射能汚染マップ”などを民主党政府が全然活用しなかった|使う能が無かったことや、先頃は、安倍首相の靖国神社参拝で、米国を“失望した”と云わしめた失策などは、米国に太い人脈を作っていない日本政府関係者の落ち度など枚挙に暇が無い!)

あれこれ考えると、この著者:佐藤氏を罪に問うた日本の官憲は、「収拾された高度な情報」を(日本の)政府や社会が、“こんな高度情報収集者(プロフェッショナル)は、とても扱えない!”との逆切れを忖度(そんたく)した結果だろうなと思う。(“出る杭は打たれる! ”)

掘江本。 [0317]
『堀江本。2004.1.1-2005.2.28 堀江 貴文著 ゴマブックス株式会社』 2005年4月 1刷 \1,300+税』 (購入\105税込み)
いやぁ!この御仁は、大変エネルギッシュな活動家らしく、毎日沢山のテーマをこなして居られた様子が良く分かる。
でも、気になったのは、色々なアイデアを具体的な形にするためには、そのテーマ毎に手下・部下が、沢山要る筈だが、そんな人達の事は、殆ど出て来ないが...全部ご自分だけで処置出来たのだろうか?
それとも、他社群が手足(機能単位)となって働くようなコーディネート役として動いたのか、あるいは、指揮者として指揮棒を振っただけなのかな?
ま、企業丸ごと買って上手く組み込めば、それも可能になるのだろうが、やはりそうした機能単位を見出したり、話を付けたり、それらを組み合わせて動かしたり出来るのは「稀有で特異な才能」ではないかと思う。
この堀江氏に憧れている若い人達も多いそうだが、(失礼だが、)自分(達)も同じような才能を持てる!と思っているのだろうか?
才能が無くて、単なる“類似の技法”や“似た考え方”だけでは、氏のように“大金を易々と稼ぐ”なんてことは、どだい無理だと思うが。
しかし、堀江氏が、お気の毒にも、訳の分からない罪で投獄されてしまった理由が、私は気になる。また、別の本を探してみよう。

本当は恐ろしい [0316]
『本当は恐ろしいハリー・ポッタ− P.グレゴリー卿著 渋谷 幸雄監訳 角川書店』 2002年2月 1刷 \1,500+税』 (購入\105税込み)
この本は、何か話の真実(あるいは裏話)を掘り起こしていて、参考になり面白いかもしれないと思って買ってみたが、残念ながら、この著者の思い込みや、下手糞な創作、あるいは適当な粉飾内容に過ぎないのが見え隠れし始めたので、途中で読むのを止めてしまった。

その内容たるや、ポッターが“復讐マニア”だったり、ホグワーツ魔法魔術学校のダンブルドア校長が理想的な好々爺...ではなくて、それは実は表面的なもので、内情は隠されたxxマニアなのだと、この著者は想像を逞しく描こうとしている。
...とその辺りまで読んで、何だ?この無茶振りは!...こんな、著者の勝手な想像や駄創作など、ちっとも面白くないぞ!と思ってしまった。
私は、常に“性悪説の見方”で問題の解決方法を考えたいと思っているのだが、こんな魔術使い達の悪癖や悪性などを、どれだけ詳しく描いてあっても、それの排除策や退治策が示されていなければ何の役も立たぬ!(クズだ!)

人はなぜ音に [0315]
『人はなぜ音にこだわるか 村山 貞也著 KKベストセラーズ』 1990年7月 1刷 \1,000+税』 (購入\105税込み)
この本では、私達が何気なく聞き過ごしている様々な“音”に関心を向け、拾い上げて、それの纏わる色々な逸話を紹介されている。(私も、昔から音には関心があるのだが。左写真<クリック>)
各節を読むと、さて、次の節のテーマは何かな?と、次へ次へと進んでしまう愉しい本だ。(“止められない、停まらないカッパ・エビセン!”でも、時々途中で飽きてしまうこともある?)

ところで、昔からよく言われていることだが、日本人は“音”を左脳(思考・論理脳)で聴き分けるそうだが、これが、異なった繊細な音も、ちゃんと“色分け・言分け”が出来る理由らしい。
西洋人のように右脳で“音”を聴かないから、即“情動”にはなり難いかもしれないが、見方を変えると、少ない音情報で多くの連想と選別&行動が出来るメリットもあるわけだ。

しかし、それが(私にとっては)災いになることもある。...街には“余計なお世話的な解説騒音”が溢れ過ぎ!
商店などに入ると、案内放送で耳が壊されそう!やめてくれー! ...あんな音は、間違いなく(思考を麻痺させる)左脳狙いだ!(苦笑)
また、「ライブ」などの大音響を、(西洋人は右脳なのに、)日本人は左脳でも聴いて酔い痴れるってことは、両脳を同化させてしまうわけだから、脳機能を壊すことになる!と甚だ心配なのだ。
(類似の話で、先日駅のプラット・ホームを1、2歳の小さな子がよちよちと歩いている風景に遭遇したのだが、その後ろから祖父らしい老人が、大声で“危ない!これっ、危ない! ”と大声で怒鳴って追い掛けていた。...が、果たしてその“危ない”という言葉が、子供にはどう聴こえて、どう反応すると思ったのだろうか?と危ぶんだ。なぜ、「停まれ!」とか「行け!」といった“単純音|右脳音”を使わないのか?!って

鵜の助4人の漁師 [0313]
ミュージック・セキュリティ」のファンドのひとつ、『鵜の助4人の漁師ファンド』(半額寄付、半額投資方式)を、“東北震災復興”の「個人的な支援テーマ」として続けているが、今回も追加で2口投資(\21,210手数料込み)した。
これは、ちょっと小遣いを節約して貯めておけば、何とかなる額で、自分としてはそんなに無理な支払いではないのが良い点だ。
他人への支援というのは、自分がそれほど負担に感じない額で、必ず自分の懐(自分の労力で得たお金)から出すのが正しいやり方だと思っている。
(だから、子供達が親の金で、赤い羽根募金をするなんて、“変な話 ”だと思う!)

...で、今回、このファンドを応援する意味を考え直して見たのだが、やはり、まだ正しい!
「漁師は、本来は個人芸・業だが、このファンドは複数家族が共同で、効率良く運営する新しいタイプの漁業」という当初の見方でよいと思う。皆が、未だに個人(か、そうでなければ大企業)では、この先、生き残れないだろう。
もっと効率が良い(と思われている)のは、「ピラミッド型の会社組織」だろうけど、その宿命は、常に成長を期待されるし、そのために多人数を抱えて、やがて“量産&量販型”にならざるを得なくなる。で、最後は乱獲だ。
やはり、安定で適量の採取と市場への提供を考えると、“海洋起源の有限資源”には、大企業化は向いていないと思う。
本来は、“食べる分だけを獲る”のが理想的だが、それだけでは漁師達の(近代的)生活を維持出来ない。
そこで、効率的も含めて考えた場合、数家族のチームで運営するこうした企業形態が、コンパクトで安定性のある良い方法だろうと思っている。
(ま、何の彼のと考えてはみたが、実は魚類は左程好きではないが、昆布などは大好きだから、という別の理由もあった。笑)

武士道、ここに甦り [0311]
『武士道、ここに甦り 革命は女からはじまる 片岡 都美著 日新報道』 2001年8月 1刷 \1,200+税』 (購入\108税込み)
この本の「まえがき」を拝見して、初めて、著者が女性だと気が付いて、びっくり!
こうした話題は、常に“男性専科”かと思い込んでいたのだが、眼から鱗が剥がれ落ちた!
一方では、(私も、)骨抜きになりつつある今の日本は、女性側から改革しないと、もう元には戻せないだろうと思っているから、副標題の“革命は女からはじまる”も、特に気にならなかったのだが。
この方の“日本人の雄々しい立て直し方”(?)を拝見しながら、“武士道の必要性”や“女性の人権要求の強さ”について、考えた。

実は、今時の日本女性には、もう“男性の雄々しさ”や“武士道”などは必要無いのでは?
つまり、今の世の中、“優しさや可愛さや人権 ”だけで十分だし、それを与えてくれるのが、何もそんな(我武者羅な)日本人男性でなくてもいいわけだから。
現に、朝日新聞社の女性連などは、(自分達を喜ばせない)へなちょこ日本人をやっつけてくれる外国人達の方に、羨望の目が行ってしまってるから、国内でどう非難されようが、気にも掛けないし、鼻にも引っ掛けない。
今や、日本のみならず世界の国々で、“可愛いい!”や“優しい!”が持て囃され始めているが、このままだと、「武士道」などは、いずれ世界無形文化遺産(?)にでも登録されてオシマイ!になるような気がする。
まぁ、駐日大使のキャロラインちゃんにでも、日本人を絶滅危惧種に指定して貰って、海洋動物園の中で細々と生きる手も、無いことは無いが。(泣笑)

だけど、本来日本人は、“こつこつ、しっかり働く陸上脊椎動物”であったし、またこれからもそうでないと、消費だけに明け暮れる“なよなよした軟体動物”では、今の(実)世界の中では、まともには生き残れないだろうから、叩き潰される前に、少しでも胸を張りたいと思ふ。

これでは困る韓国 [0309]
『これでは困る韓国 ニューカマー韓国人の対話 呉 善花、崔 吉城共著 三交社』 1997年11月 1刷 \1,500+税』 (購入\105税込み)
報道によると、豪州にも韓国系人達が、似非売春婦人形を設置したいという申請を出しているとか。
そうした“低劣な連中”のやることは、あまりにも、人間の「真面目さ、優しさ」や「信義」や「恩義」とかから掛け離れ出して来たから、もう私達日本人側でも、“そんなのは放っておけ!”...というわけにも行かなくなりつつあるようだ。
戦場売春婦問題”(所謂、なんちゃら慰安婦問題)も、一つの政治活動に過ぎなかったものが、お互いの政府の対応(特に、日本政府の契約上の手抜かり)が拙かったせいもあって、韓国側の“低劣さ、愚劣さ”による“倍返し”を食わされてしまっているわけだ。

だが、韓国人全体が根っから、そうでもないと思うし、相手の弱点は何かを探るために、他の人達の意見も見てみようと、この本を買った。
確かに、著者達は、至極常識や良識のある方達だと分かる。(だが、それを本国で大ぴらに話すと、非難や被害を受ける不安があるらしい)

ところで、私達日本人は、今まであまり気にしなかったのだが、この本で重要なことを指摘されている。
「倭」という言葉が、韓国では“矮小な人間達”と解釈するらしいから、国際的・口語的には、あまり安直に使わない方が良さそうだ。
(学問上は別だが、近隣国では“蔑視語”として使われるようだ。知らない方が、むしろシアワセだったのかも。苦笑)

これは、例の「国際社会では、謝ることは、自分が悪人・犯罪人だと認めることだという常識」と同じ話らしい!
日本人は、何でもないのに、つい“スミマセン!”と云ってしまうが、これが常に誤解され、有罪に追い込まれてしまう。
だから、昨今の話題でも、絶対に謝ってはいけない!...何かするなら、逆に恩を着せながら現物でやるべきだろうと思う。
(...とは言っても、日本国内では、その方が滑らかに事が進むんだがなぁ)

メリーポピンズは生きている [0307]
『メリーポピンズは生きている 現代英国ナニー事情 秋島 百合子著 朝日新聞社』 1991年7月 1刷 \1,450税込み』 (購入\105税込み)
日頃、乳幼児・児童の養育・教育適任者として、近頃の母親達や保育園の保母達には期待し難い思いがあって、「ナニー」という“役割”に興味が湧いたのだが。
英国の「ナニー」は、乳幼児の日常生活から教育補助までを受け持つ女性だが、家族同様の扱いを受けながら、しかも自主性も尊重される職業婦人らしい。
読んでみると、「ナニー」それぞれも、人様々なようだし、また、日本の経済事情や家庭事情を考えると、とても“子供達の養育・教育人材”としては使えないなと思った。
この話にもあるように、夫婦の稼ぎがたっぷり(?)あって、「職業婦人」を雇える家庭は、それでも構わないのだろうけど、そんなのは、特殊論(ノウハウ)であって、誰にでも通用する一般論ではない。

大体、日本では夫婦共稼ぎというのは、生活が苦しいからと云うのが主な理由らしかったから、余分に一人の職業婦人などを雇えるか!ってことになるはず。あるいは、他方では、“女性の自己実現(?)や社会進出(?)”の方が“主題目”になりつつあるようだが、(私に言わせると)自分の役割を放り出して社会へ出る事は、建設的生産能力が十分なら有り得るけど、消費的な一般論では単なる我侭ではないか?!

そのために、家庭に「子供達の養育・教育担当の職業婦人」を入れるなんて案も、どだい本末転倒な話だが、きちんと子供の養育・教育が出来ない主婦が増えている昨今では、そうした方法でしか世の中を改善出来ないのではないかとも考えているのだが。
だから、有識者から、“女性は家庭に戻って、自分の役割を果たせ!”という意見も、出て来て当然だと思う。
(でもまぁ、アメリカナイズされ過ぎて、もう出来ない体質になっているのに、“やれ!”って言われても、単に反発するだけだろうな)

大人のための躾入門 [0305]
『大人のための躾入門 大栗 道榮著 (有)東海企画』 平成15年7月 1刷 \1,500+税』 (購入\105税込み)
うーん...この本、特に拙いことが書いてあるわけでもなく、所々にユーモラスな記述もあるのだが、残念だが、私にはあまり強く感じるものがなかった。
多分、人間とか、日本人とかを深く掘り下げて、本質的な処を突き刺すのではなくて、従来の古い道徳(?)にちょっと新しい小話を挟んで、程々に叩いている感じで、謂わば、ノウハウ本に近い。
こうした、“ノウハウ”というのは、突き詰めると百人百手、千人千手のはずだから、こんなのを読んで実践しても、恐らく「みんなと同じ個性」にしかならないだろうと思う。
私は、もっと、人間が共同生活する上で「備えるべき社会性」について、丁寧に分析した上で、効果的な行動指針について、書かれてはいないかと期待したのだが...期待外れ!
(因みに、私は、大人への義務教育として、『過剰保護はするな!そして、それに甘えるな!』...ということを、何とか広めたいと思っているのだが...日本国憲法の序文ですら、そうした“世界からの過保護を期待している云々(意訳)”と明記してあるのだから、救われない!)

[続]イギリス四季暦 [0303]
『[続]イギリス四季暦 出口 保夫著 東京書籍』 1992年9月 4刷 \1,600税込み』 (購入\105税込み)
昨今のアジア人の品格の低さに、嫌気が差し始めている。(金で動く一部の欧米人達にもだが)
尤も、嫌だからとて、日本人を辞めたいとも思わないが。(笑)
...で、ちょっと、西洋の良い処を知って、自分達アジア人を見直してみようか!と思って、こんな本を買ってみた。
内容は、教養人の好意的な視線で見た、英国・倫敦(ロンドン)を主とした、日常生活や植栽、人情、芸術など“精神的な豊かさ”にまつわる四季の風景など。
やや、清潔・綺麗過ぎる感じもあるが、なかなか癒される情景が多々♪
その中に、英国社会には、慈善活動の現代版「レッド・ノーズ・デイ」(赤い鼻の日)というのがあるそうだ。(日本の「赤い羽根週間」と同じか)
著者は、街を大人が赤い鼻を付けて歩いていたり、そんな赤鼻もどきを付けて走るクルマを見て、ほのぼのとした人間性を感じたという。

他方、こうした“人間味豊かな話”を読んでいると、今韓国が盛んに記念物化しようとしている「戦場売春婦の話」って、どう見ても劣悪なもの、お皿に乗せた人凸に、飾り付けをしているようなもので、極めて悪趣味としか言いようがない。
巧みな悲劇話と似非残虐話で飾れば、その見掛けだけで、皆あっさりと、まあいいだろうと納得?|欺かれる!らしい。
(...しかし、何も臭わないのだろうか?)
普通の人間からすれば、もう少し、趣味の良い(悪くない)ものを記念碑にしてはどうか!と思うが、やはり人品の問題か。

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