導育甘言集 2012.11    我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ      表紙頁]へ

子どもを本好きに [1129]
『子どもを本好きにさせる本 七田 眞濤川 栄太著 エコー出版 2001年3月 3版 \1,400+税』 (購入\53税込み)
子どもは、母親のお腹に居る時から、「本の読み聞かせ」をしていれば、子どもの良い人格形成に効果的だそうです。
こうしたことは、以前から何となく「胎教」としては知られているけど、一般の母親達は、“あぁ、それなら知ってますわ” 程度にしか考えないし、丁寧に実践することもない?
が、この著者(達)は、もっとしっかりやったらどうでしょうか!と仰りたいようです。
更に、乳幼児の時期の「読み聞かせ」や「本読み」も大切ですね。
読んでも、まだ分からないはずだ!と決め付けない|思い込まないで、「音読」などで慣れさせて行くのがいいらしい。(海綿のつもりで、子供を“本の湯”に浸す感じでしょうか)
考えて見れば、青年、壮年、老年でも、自分の知識を広げ、考えを深めるには「読書」は必須で、人間が「人間の文化」を受け継いで行く上で、大変重要な“技|業”だと思います。
従来は「乳幼児期の読み聞かせや本読み」などは、物事が分かるようになってからでいい!とか、無理に詰め込むと、子供がダメになってしまう!とかいった(似非)専門家の異見などが罷り通っていたけど、もうそんな迷信は信じない方がいい。
(持って生まれた性格というのは、実は、殆どが“そうした時期の環境で育まれたもの”だと思いますね)
まぁ、問題は、母親達が、“そんなこと、(自分の仕事が)忙しいから出来ない、面倒だわ!”と考えるともうダメでしょうけど。働く母親達の多くは、ついそうなってしまうのではないのかな?...教育制度を変えて、強制的にやれるように出来ないか。

邪馬臺国抹殺 [1127]
『邪馬臺国抹殺の謎 佐治 芳彦著 新国民社 昭和63年8月 改定1版 \980税込み』 (購入\105税込み)
著者は、日本の(主流の)学者達は「魏志倭人伝」をもっと素直に読んで、古代日本の正しい歴史を解き明かすべきだ!と仰りたいようです。
学会からは無視され易い亜流・傍流(?)の古代史研究家のようで、「邪馬台国、邪馬臺国」は本当は九州南の宮崎・西都辺りで、狗奴国は琉球だった!(原説は原田常次氏)とか、その時代は中央集権国家などはまだ出来上がって居なかったのだ!とか、未だに天皇陵の発掘調査が許されていないのはケシカラン!とか、日本人のルーツは単純に南方や北方でなく、もっと先の、インドやその先のエジプト辺りは考えられないか?とか、色々深みのある発想・解釈・提案をされています。
まぁ、“抹殺”だとか“偽史シンジケート”とか、多少過激な言葉も出て来ますが、お話の“筋はちゃんと通っている”ように思いました。
ナルホド!と思ったのは、『「魏志倭人伝」に「倭人達が皆、顔や身体に刺青をしている」との記述を、学者達はあっさり無視して、大和人達をそれとは別種族のように考えて来ているが、それは違うだろ!』と言う点。
『その時代には、既に大和朝廷があったと「古事記」や「日本書紀」には書いてあるけど、実は後世の捏造で、これらは朝鮮の王族達の話を辻褄が合うように織り込んだのでは?』も、興味深い話です。

そりゃまぁ、教科書通り今の日本人が、氏素性の正しい(?)種族の末裔であれば、多少は自慢?出来るのかもしれませんが、それよりも、“本当はどうだったの?”や“...んなら、これからどう考えて行こうか?”の方が面白いですね。
ただ、事実の追求に関しては、程々に風化させながら、事実は曲げずに、次世代に役立つように解釈して行く方がいいかな?とも思います。
例えば、“天皇陵の発掘調査”を宮内庁が頑なに拒んでいるのは、故あっての事でしょうから、まだ当分は待ってもいいのではないかと思いますね。 ... 人間誰しも“暴かれたくないこと”はあるだろうし、“人としての恥じらい”だってあるでしょうから。
例えば、人間の性も、丸出しにしたら味も素っ気も無くなる(犬、猫のそれ)と同じ!つまり、それは(精神性の低い)動物・野生に戻るってことだから、一部にはそんな人達が居ても仕方が無いだろうけど、衆目に曝す必要は毛頭無いと思います。

ところで、天皇家に関しての私見ですが、神道を、(単なる宗教ではなくて、精神性の高い)哲学』だとして、『天皇家』はその神道の継承者だとすれば、これからも継承し続けて頂く価値が十分にあります。また、その精神性と役割面から言えば、やはり男系必須でしょう。

誰か祖国を [1124]
『誰か祖国を思わざる 政治家の使命とは何か 西村 眞悟著 クレスト社 平成9年5月 1版 \1,600+税』 (特価購入\653税込み)
この著者は、日本国とは何か?祖国とは何か?を、政治家の立場から追求され、自らが行動されて居られるそうですが、尖閣諸島へ上陸した初めての国会議員だそうです。
石原慎太郎氏かと思っていたのですが、その時は、石原氏は協力者だったらしい)
(日本の領土である)尖閣諸島は、問題になり始めてから、ずっと日本国が(って、真犯人は誰なのかな?)、日本人には上陸を一切許可せず、外国人ならあっさり上陸させるという超法規的な扱いをするヘンな場所らしいですね。
あそこは、「日本国番外地」なんでしょうかねぇ。(“網走番外地”って、聞いた事はあるが)
私達国民から見ると、国・政府のやり方はとても奇妙なのですが、何か他人には言えない密約でもあるのでしょうか?そして、それを知っているのは政府・閣僚だけ?
(もし、石原氏が日本国首相になったら、どんな対処をして下さるか不安ですが。民主党の前原氏は、盛んに“あそこは触るな!さわるな!”って牽制しているようですが)
多分、密約などは無くて、単に政府外務省が自分達に自己暗示を掛けて、独りで怯えているだけなのかもしれませんが。
先般の「国有化」で、シナ国内で起こされた「反日テロ」による大規模被害の評価は、如何でしたか?...ああしたミス|失政でも、誰か責任を取りましたかね?...そして、何か善後策でも講じましたかね?・・・ と、政府外務省に問い糾(ただ)したい!
“何にも抵抗しないことが、一番いいのだ!”という政府や外務省の態度は、結局は自分達の“責任逃れ”のためだけなのかな?
まぁ、相手が“無法者”なら仕方が無いのでしょうけど、それならそうと大っぴらに日本国内や世界に向けて吹聴して、“自分達の責任ではないぞ!”と宣言すればいい。そうしないのは、甚だ無責任な証拠ね!
(彼らを職務怠慢の罪で罰したいが、実行力のある橋下氏に、大臣か首相になって貰わないとダメでしょうかね)

日本でいちばん小さな出版社 [1122]
『日本でいちばん小さな出版社 佃 由美子著 晶文社 2007年6月 2版 \1,600+税』 (特価購入\53税込み)
至って小粒だけど、大手取次店(問屋)「トーハン」や「日販」と取引が出来るれっきとした出版社「アニカ」の女性経営者の立ち上げ奮戦記。
常に前向きで、“兎に角、やってみっか!”と未知の物事への挑戦意欲満々で、羨ましい!
“理解力”や“行動力”も秀でて居られるようだし、失敗しても直ぐ立ち直れるようで、“元気人”の見本みたい。 ... 読んでいて、大いに愉しませて頂きました♪
(女性も、こんな人達ばかりだったら、きっと日本も元気になるでしょうね。でも、後が続かなくなるかな?)
日本人の活字離れが進み出してから久しい昨今ですが、『本』に“手作りの味”がある限り、電子化された本が出ようが、読書人口が減ろうが、「紙出版物」は、決して無くならないだろうし、細々と出していても必ず何処かに読者が居るようですから、そうした繋がりで経営を成り立たせて行くなら、この著者/経営者の経営手法は、大いに意味がある。(ベストセラーの利益は、長期の運用資金として残すのかな?それとも豪遊?まぁ、どちらも結構!)
以前、あるメーカの社長が「わが社は、いたずらに規模のみを追わず...」と仰っていたのが、思い出されます。それが、後世代になって、イケイケドンドン!で膨らませ過ぎてパンクしちゃったようです。

対談集 日本人への遺言 [1120]
対談集 日本人への遺言 著者代表司馬 遼太郎 朝日新聞社 1997年4月 5版 \1,200+税』 (特価購入\53税込み)
司馬さんは、『物を、潔く捨てること』が如何に難しいかについて言及しておられます。
戦前日本が対ロシア戦のために大艦隊を持ったが、それは借金まみれだった。しかし、勝って栄光が残ったために、それを捨てることが出来なくなってしまった。
(しかし、逆に負けてしまうと、後には借金だけが残るわけですから、どちらにしても良し悪しなのですが)
それを思うと、今の国の官僚制度や種々の組織は、すでに出来上がってしまっていますから、これを解体するのは並大抵ではないことが、容易に想像出来ますね。
先日、旧赤坂プリンスホテルを「取り壊す新技法」が紹介されていましたが、あんな風に、今の日本の官僚制度・組織も、新しくするために上手く解体する「新技法」を誰か知恵者が案出して欲しいものですね。そして、それを、次の政府がしゃにむに実行すれば、日本もスマートに生まれ変われるかも。(喜)

また、宮崎 駿監督との対談では、人は誰でも自分の中に「子ども」を一人持っていると仰っている。(あー、でもこれは、男性に限るのではないかな?)
確かに、そう言われればそんな気もしますが、でも、「子ども」というものは本来“未完成なもの”なのに、それをちょっと美化し過ぎで、一般人に“勘違いさせる危険性がある”のではないかと思いました。
よく、「子ども」は、子どもの感性に任せて、好きなようにさせればいい!とか云って放置する親の考え方は、どうも胡散臭い!
その根底に、「子ども」は“幼稚だが、完成された人格”だとの勘違いがあるのではないか、と心配してます。
でも、「子ども」に“花は、美しいものだ!”と、大人が言葉や態度で教えておかないと、普通人の「子ども」にはそういった情動が自然発生的に出て来るものではないと思いますね。

花と火の帝[上、下] [1117]
『花と火の帝[上、下] 隆 慶一郎著 日本経済新聞社 1990年1月 1版 各\1,300税込み』 (購入\210税込み)
この著者の話には、史実の間に空想的な活劇を織り交ぜてあり、うっかり読んでいると何処までが本当で何処までがウソなのか紛らわしくなる時があります。(笑)
此処で主軸になられるのは禁裏の『後水尾天皇』で、その方をお守りするのが、(怪物的な)岩介や(忍びの)猿飛佐助、(女形もやれる)霧隠才蔵らで、今でいうテレキネシスやテレパシーまで使って、(幕府を、朝廷の上において、何とか朝廷を利用しようとする)徳川家康や後の秀忠を悩ませるのです。
でも、当時の朝廷は、“金も力も無かりけり!”で、お気の毒に、あるといえそうなのは“見えない(有名無実な)権威”だけだったようですね。
「天皇御親政」やはり、朝廷に武力や金力が無いと無理だろうし、それのあった“幕府の命令”には表向き、どうしても歯向かえなかった。(それに対抗するとしたら、こうした“隠密パワー”しか無かったのかもしれませんね)
しかし、何時の世もそうですが、正義にはが必要だし、逆には正義なのですね。やはり、それを持たなければ、単なる負け犬になってしまう!

兜町の妖怪 [1114]
『兜町の妖怪【世紀末黄金伝説】 広瀬 隆著 光文社 1994年12月 1版 \1,600税込み』 (購入\105税込み)
これは、一言で言うと、最後まで興味を惹かれてナンダロ?ナンダロ?と追っ掛けてるのに、一体誰が何を仕掛け、何を為したのかが、よく分からない...という妙な小説です。
金儲けに関する世界中の(有名?)人物達の名前やそれらの関係・係累などが絶え間なく(薀蓄を傾けて)語られますが、その人物達が何をしたのかも、私のような素人には詳しく語って貰えず、取り残されたまま、どんどん話が進み、煙の巻かれたまま、最後まで読まされたってことですが。(苦笑)
どうやら、中に登場する数人の人物達は皆、『妖怪』たちだったのかも。
ところで、この中で、高名なジョージ・ソロスという名が、頻繁に出て来ますが、この人物は(世界的な)“金儲けの怪物”らしいですね。
この人物|怪物が動くと、日本などは丸裸になるまで毟(むし)られてしまう恐れがあるみたいですが、それはきっと、やがて来る“日本風「財政の崖」(赤字国債など借金が、国民の総預金高を越えた時)”辺りでしょうかね。
(...そんな時、出来れば、此処の登場する人物|妖怪達の(奉仕的な)助けが欲しいものですが)

明石元二郎 [1112]
情報将軍 明石元二郎 豊田 穣著 光人社 昭和62年7月 1版 \1,500』 (購入\105税込み)
明石大佐の名前は、昔から良く聞いていましたが、伝記のようなものは読んだことが無かったので、これを見掛けて買って来ました。
この本では、各シーンを細かく描写されていますね。でも、何だかずーっと平板画を見ているようで、あまり“ドキドキ、ワクワク”する箇所が無かった。
贅沢を言って申し訳無いですが、あまり克明に説明的に話されると、想像力が沸かなくなるせいもあるのでしょうか、物足りなかった。
しかし、明治時代の“仕事師”には、今時とは違った型破りな人物が多いですね。
この明石大佐も、風采には無頓着な“汚れの明石”だったそうで、やはりなぁ!と思わせられます。彼の高名な参謀秋山真之氏も、常に豆をポリポリ喰っていたり、人前で屁をひっていたりしたそうですから、今の基準で見たら、あまりスマートではない。
ジェームス・ボンドのようにスマートで腕の良いスパイなんて、国が豊かでないと無理でしょうね。(まぁ、あれは単なるお伽噺でしょうが、それも国が裕福で、組織も裕福でなければ出来ない話ですからね)
確かに、当時の日本は本当に貧しかったし、身繕(みづくろ)いなどする余裕も無かったからでしょう。だから、反ってハングリィ精神も旺盛だったのかも。それに才能が加われば、向かう所敵無し?!
ところで、今の日本は“豊か”なんでしょうかね?それとも、“貧しい”のかな?...国は「特例公債法」を続けながら借金ばかり増やしているから、本当は“豊か”だってことはないはずなのですが。

本当は中国で [1110]
『本当は中国で何が起きているのか 宮崎 正弘著 徳間書店 2002年2月 1版 \1,600+税』 (購入\105税込み)
これまでにも中国/シナ事情が書かれた本を数冊読んで来ましたが、それらはどれも表面ズラだけの話が多くて、読んでいても途中でうんざりでしたが、この本はある意味で読み易く(最後まで)読めました。
内容が、整理されていて、本質的な事実や事件に焦点を当てて書かれているから、ではないかと思います。(シナは本当は“共産主義”はどうでも良くて、“為政者に都合の良い政治体制”であれば何でも良く、例え資本主義折衷型であろうが一向に構わないらしい。民主化運動が激しくなって来たら、明朝の末裔でも引っ張り出して来て、“王政復古”でもやるかな?)

この中で、ゴードン・チャン氏の書かれた本が、よく引き合いに出されているので、別途、氏の「やがて中国の崩壊がはじまる」を買って来ました。(まだ、読んでませんが)
また、個別の話では、『中国の対日「恫喝」外交は直らない』んだそうですね。
(あれは、嫌ですね!日本は、脅せば簡単に震えるとみて、昨今の対日外交を進めているって!...そういや、温厚そうな氏ですら、日本をなじる時にはえらい剣幕でしたが、あれぐらい声を張り上げないと、有効なゼスチャにはならないのでしょうね。苦笑)

他方、私達の日本は、全然反抗しない、謝ってばかりの「いじめられっ子」のごとくで、何時までもやられ続け、財産はどんどん壊されたり、脅し取られるのでしょうかね?(過去の日本の好意などは、あっさり無視されるし、ご都合よく書き替えられてしまう)
私は、何とか反抗するために、敵の弱点は何処で、それは何か?を知りたいと思って、色々なシナ関連本を読んでますが、まだまだです。
(ところで、この本でも指摘されていましたが、まだ連中は「東シナ海」は“東中国海”にはしないつもりでしょうかね。韓国が今、駄々をこねてるように、連中もその内始めるかな?嘲笑)

深夜特急 第一便 [1108]
『深夜特急 第一便 沢木 耕太郎著 新潮社 1986年5月/1992年12月 初版/26刷 各\1,300税込み』 (購入\105税込み)
随分前に、TV番組で見て面白いな!と思ったのですが、それ以来出会いの機会が無かった...というか興味が向かなかったのですが、先日偶々見掛けて読んでみようか!と、棚に並んでいた「第一便」と「第二便」を買って来ました。
先ほど「第一便」を読み終えたのですが、やはり大変面白い!
旅先での、だらだらした日常を描いているようでいて、それぞれがちょっとした事件だし、「へぇー」とか「なるほど」、「ふんふん」と思わされて、読んでいて飽きることが無い。
それと、出来るだけ経費を切り詰めて旅をしなければならないからでしょうが、“言い値を、値切る”ってのは、私も好きですねぇ。(笑)
でも、こうした貧乏旅行・滞在が出来るのも、皆周りの他人の親切心に依存しているのだと、著者は、ふと気が付く。(生活が貧しい地域の人達ほど、他人に優しいのではないか?と、思いました)
この著者は、人がやたら多い香港が気に入っていたようですが、肌が合ったのでしょうか?
だとしたら、荒地の多い中東や整い過ぎた欧州では、どんな旅になったのだろうと、今から興味が湧きます。
(これから、第二便に掛かろうと思いますが、さて!この後の「便」は、果たしてタイミングよく、BOOK-OFFで入手出来るかな?)

台湾の主張 [1105]
『台湾の主張 李 登輝著 PHP研究所 1999年7月 4刷 各\1,524+税』 (購入\105税込み)
この方は、台湾の政治家として大変優れた人物だということは、報道などで薄々は知っていましたが、この著書を拝見して、確かにそうだなと思いました。
ご自分は政治家ではないと仰っているけれど、従来の政治屋とは一味も二味も違いますね。決断の際、ご自分を除外した上で、ベストな方法を考え、選ばれるそうですから、今の日本の民主党議員連とは大違い!
理想をお持ちだし、台湾や世界の現実も分かってらっしゃる、そして、問題意識を持ち解決のための具体策を考え、それを着実に実行して行く意思と勇気をお持ちのようだ。
日本の政界にも、是非欲しい人物ですね!(でも、台湾の立場に立つ人だからダメか)
この著書の中で指摘されていることは、私達日本人も真摯に傾聴し、出来れば少しでも実践して行かなければだと思いました。
 +政治とは、以前は「人民を管理すること」、「民をいかに支配するか」だったが、もう、そうではない。(民に、迎合ではなく、尽くすことだ)
 +票が欲しいだけの政治は国を害す。(あー、今の民主党政府の振る舞いそのものですね)
 +政治における漸進主義の大切さ。(遠回りしてでも、目標に向かって歩む努力をすべし)
 +日本は、早く自信喪失から脱却すべし。(もっと、強気になって相手と交渉しないと損ですよ!って)
日本の政治家全員に、この本を読ませたいが...無理・無駄か?!
まぁ、私達自身が読んでおくだけでも、今後、きっと役に立つだろうと思いますね。

日本国債[上、下] [1102]
『日本国債[上、下] 幸田 真音著 講談社 2002年4月 11刷 各冊\1,800+税』 (購入共\210税込み)
これは、普通に面白かった。で、半日で読んで仕舞えました。
“日本国債”のトレーダー達が一日で幾十〜百億円を腕一本(いや、二本か!笑)で動かすってのは、凄い!というか、空恐ろしいというか、大変現実離れした(現実の)世界の話なのですが、其処で起きた些細で巨大な(手に汗握る?)事件を描いています。
日本国の巨額の借金は、毎度(日本政府、財務省の手によって)国債として売りに出されるのですが、こうした国債の売買取引は、(率は低くても)金額が巨大だから、“利息の取り合い”だけでも損はしないらしい。それに加えて、ギャンブル性もあるから、とても止められない?
それにしても、日本国は、現実に毎日、毎週、毎月こうした借金を重ね続けて来ていますが、もう誰も停める気がないのですかねぇ?
日本人の悪い癖、“成り行き任せ”と“出たとこ勝負”で、“その内、誰かがやるだろ!”なんちゃって、“どうにも止まらない♪”..のでしょうか?
日本の財務省は、儲けも無いのに、せっせと税金を使い込んでは、足りない分を増税で穴埋めしようと企んでいるし、政府や政治家達は彼らの言い成りだし。

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