導育甘言集 2012.01 [我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ [表紙頁]へ
壬申の乱 [0131]
『壬申の乱 清張通史5 松本 清張著 講談社 昭和57年10月3刷 \950』 (購入\105税込み)
この“清張通史”では、色々な史実や研究者達の意見や論争を丁寧に取り上げて居られますが、この「5」でも、そうでした。
これを読みながら思ったのは、私もそうですが“頭の固い読者”には、こんなに丁寧な検証や論証は煩わしくて、あまり面白くない話になってしまうきらいがありますね。
だから、歴史書なんて、まったくのウソであっても、話がすっきりして分かり易ければ、“それで納得!それだけで結構!”となりそう。
つまり、“単純明快な説/噺だけが、一般受けする”ってことですが。(哀)
でも、大切なことは、“間違った歴史”を覚えこんでしまうと、私達の現在の生活上での価値判断も狂ってしまうこともあるはずです。(例えば、“日本国憲法”は自主制作物ではないのに、何の彼のと理屈を付けて、未だに“自主改憲”すらやらない/やれないらしいですしね)
だから、私は(面倒がらずに、興(きょう)が乗っている時には“これ幸い!”と)出来るだけ色々な史実や見解を知ろうと思ってます。
『(余計なことは)知らない幸せ、(嫌なことを嫌々)知ってる不幸』よりも、『(真実を)知らない不幸、(改善や工夫を)知ってる幸せ』が良いに決まってますから。
逆・日本史1 [0129]
『逆・日本史1 庶民の時代 昭和→大正→明治 樋口 清之著 祥伝社 昭和62年4月20刷 \980』 (購入\105税込み)
この処、日本古代史への興味が尽きないので、手当たり次第(BOOK-OFFで見付け次第!)買っては読んでいるのですが、今回も“まとめ買い”になりました。(左写真&<クリック>)
先述(↓)の松本清張氏の通史もそうですが、『逆・・・史』は、結局、「その事件が起きた元の原因は何か?」を掘り起こそうとされているのだと、分かりました。
現代の私達は、そうした“原因追及”を殆どしないまま、表層だけをちょこっと片付ける“その日暮らし的処方”にかまけているように思えてなりません。(消費増税などもその類ですが)
また、昔から、“技術や科学”だけは着実に進歩して来たようですが、“人間そのもの”は徳性的には殆ど進化していないらしいが、本当にそうなのか?とか。
歴史解説本は、そうした疑問を少しずつだけど、解きほぐしてくれそうな気がします。
で、このNo.1で指摘されている「日本人には、原始道徳律が、今でも残っている」については、色々考えさせられました。
私達日本人は、悪い事さえしなければ“幸せ”や“安全”は無料(ただ)で天から授かるものだと思っていた/未だにそう思っているらしいのも、その類(たぐい)でしょうかね。(そうした人の好さが、反って自分達の不幸を招くんだって気が付いていないといけないと思うのですがねぇ)
清張通史1 [0127]
『清張通史1 邪馬台国 松本 清張著 講談社 昭和51年12月2刷 \850』 (購入\105税込み)
偶々BOOK-OFFで見掛けたので、(一期一会だ!と)5冊纏めて買って来ました。残念ながら、「3」だけ抜けていた。(左写真<クリック>)
この著者は、古代の史実や他の研究者達の著述など、良く調査、研究されているようです。
資料や証拠の乏しい古代の状況は、細かい情報の欠片を拾い集めて推測、解釈しなければならないから、物事を広い範囲で、かつ緻密に考える事など、大変なご苦労が要りますね!
以前は、何気なく研究者と小説家とは別者(小説家は、非専門家?)だろうと思っていたのですが、知らぬ事とは言え、小説家に対して“失礼な見方”だと気が付きました。むしろ、研究者や専門家の方が、“怪しい/危ない”ことも多いようです...でも、昨今は、多くの職業でプロフェッショナルが減って素人が多くなり、仕事振りも危なっかしいのも、困ったものですね。(例えば、政治家など)
ま、それは置くとして、この本の中では、「卑弥呼の国」は北九州地域に留まり続け、「大和国」は朝鮮南部から直接やって来た別のグループが建てたものだと書かれていますが、なるほど、そういう見方が出来るとすれば、自分の頭の中の常識も、また考え直さねば!
従来は「邪馬台国」は北九州だ!いや、大和・飛鳥だ!と(未だ?)百家争鳴だったようですが、当時の「国」の規模や構造が、まださほど大きくて固いものでなければ、きちんと同定出来るのかどうか。。。
ところで、韓語・漢語に対する日本語(倭語)って、何時頃までに確定していたのでしょう?それは、どんな“話し方”だったのかな?
運を育てる [0125]
『運を育てる 米長 邦雄著 クレスト社 平成5年8月3版 各冊\1,600税込み』 (購入\105税込み)
面白い表題だったのと、この著者が東京都の誠実で前向きな教育委員だったのを別の著書で拝見していたので、この本を買ってみました。
まぁ、“運”というのは、自分でどうにか出来るものではないと思うのですが、この著者は“何事も、努力をすればするだけ、運も向いて来ると考えよ!”と仰りたいのだと思います。
それも、ただ闇雲に「身体」だけを使うのではなくて、「精神」もそうなのだよ!と。
その話とは反対に、時折、“頑張らなくても、いいんだよ♪”という文言を聞きますが、私は“それは違うだろ!”と思っています。
自分が生きて行くためにすべき努力を手抜き・放棄して、あわよくば、他人に寄り掛かろうとする根性が厭らしい。
兎に角、“独りで、無人島にでも行って、生活してみろや!”と言ってみたい。多分、其処(そこ)だと「頑張る、頑張らないの話」ではなくなるだろうと思いますがね。
勿論、通常の社会生活では、(周りの)他人の助けが必要でしょうし、あるいは殆どそればかりかもしれません。だとしたら、その“助け”には、礼を尽くして/感謝の念を持って依頼/応対すべきだと思いますね。それは、決して(私は頑張らない♪...なんて)“居直り”だけで済ましては居れないと思いますよ。
曹操 [0123]
『曹操 魏の曹一族[上、下] 陳 舜臣著 中央公論社 1998年11月1版 各冊\1,500+税』 (購入上下2冊\210税込み)
(先回の「上杉鷹山」といい、この「曹操」といい、こんなに素敵な書物群と出会えたのは、やはりBOOK-OFFのお蔭かな?通常なら、(吝嗇(りんしょく)というより)貧者の私が、とても大枚を払って、こんな書物を“読んでみようか?!”とは思いませんでしたから。(苦笑)
でも、読んで良かった!と思います...思ったのは、“人間の一生”って、詰まらない生き方も有れば、充実した生き方も有るけど、この人物は、(自分では意識せずに?)大変“充実した生き方”をしたのだろうな!ってこと。
(ただ、一度だけ、父親が盗賊もどきに殺された時、我を忘れ狂ったようになったらしいのですが、それ以外は、常に真面目に(プロフェッショナルとして)考え行動していたようですね)
私利私欲や虚飾に溺れる事が無かったことなどは大層好ましく思いますし、相手を排除しなければ自分が殺される時には殺人も辞さなかったことなどは、当たり前のこと!だろうと思いました。
この曹操という人は、当初は君主などになるつもりも無かったらしいのですが、自分の持っている能力を振り絞って、乱れた世の中に何とか“清平(平和)”をもたらそうとしている内に、“魏”の王にまでなってしまったらしい。
言わば、権力は「手段」であって、「目的」は天下に平和をもたらす事だったように、私には思えました。
だから、敢えて“呉”や“蜀”を攻め滅ぼさずに、「天下三分の計」でよしとしたのでしょう。
上杉鷹山 [0121]
『上杉鷹山[上、下] 童門 冬二著 学陽書房 1993年2月37版 各冊\1,300+税』 (購入上下2冊\210税込み)
以前、故ケネディ大統領が言ったとかで、「上杉鷹山」の名が話題になった事があったのを覚えています。
その頃は、あまり興味が無かったのですが、先日偶々BOOK-OFFで見掛けたので買って来ました。
上杉鷹山という人物は、理想志向と実行力を兼ね備えた天才肌の仏様のような人物だったようで、読んで感動!...この人の姿は、この小説の描き方にもよるかもしれないけど、この人の「実績」は、間違い無いらしい。
一瞬、なぜまだ、日本の紙幣の“肖像画”になっていないのだろうか?と不思議に思いましたが、...考えてみると、故J.F.ケネディ氏に指摘されるまで、殆どのマスコミが知らなかったそうですから、日本人の大半が知らなくて、当然か!?
でも、その後もっと人口に膾炙(かいしゃ)されていてもいいはずなのに、意外に知られていないのは、残念です。
(“大河ドラマ”でやれば人気が出るかもしれないが、史実に忠実だと、何処かの“井戸知事”が“暗い!”とかいう浅薄な発言をするようだから、難しいかな?)
この本によると、当時の米沢藩は莫大な借金で没落寸前だったのに、改革を試みようとした“上杉鷹山グループ”への守旧派/改革反対派の“嫌がらせ”や“抵抗”には凄(すさ)まじいものがあったらしい。
それらは闇・暗部・恥部だから、真面目に描かれると、“ご都合主義的 知事”には具合が悪いでしょうが、描かないと聴視者は片面だけしか知らないままになり、改革者達の懸命の努力の意味が分からなくなる。
「日本文明」の [0119]
『日本人が忘れてしまった「日本文明」の真価 清水 馨八郎著 祥伝社 平成11年8月3版 \1,600+税』 (購入\105税込み)
あたたた!...この本は、無駄だったと言うか、私とは相性が悪かったです。
総て間違い無さそうな事実を、丁寧に漏らさず書いては居られますが、どうも上滑り過ぎる感じがしました。他方、あまり細かい追及や丁寧な説得性が感じられません。
つまり、何故そういう評価に至ったのか?が、十分に説明されていないのです。
例えば、『適度の災害は、文明進歩の母』とあり、多少の(日本の)事実が添えられていますが、本当に日本だけがそうなのでしょうか?それはどこの国でも同じだろうし、それも単なる“結果論”でしか無いのでは?と思ってしまいました。
(先般の東日本大震災で、果たして、日本のどんな“文明”が進むのかな?)
何故そうした事実が、“日本の文明”なのか、あるいはそれを育てたり、損ねたりしたのかを、分析して貰えたら、もう少し分かり易かったかも。これは、既に話がよく分かっている人(達)のための整理用の資料って処でしょうか。(百五円で良かった!)
日本史から見た [0117]
『日本史から見た日本人 渡部 昇一著 産業能率大学出版部 昭和55年9月27版 \980』 (購入\105税込み)
世の中の物事に関して、色々な視点/眺め方、あるいは異なる解釈の仕方を知るのは、大変面白く、為(ため)になります。
この中で紹介されている話−宗教観で、一神教(ユダヤ教、キリスト教、マホメット教)は“高級宗教”で、その他は“低級”だと考える人が居るらしいですね。(つまり、“自分の信じる神が一番偉いんだ!”ってことかな?)
ヒンズー教や(日本の自然神のような)多神教、アニミズムなどは、低級か?というと、実は、そうでもなくて、“根源的な神性を、色々な形を介して人間に示そうとしている”のだそうです。(まぁ、一神教でも偶像崇拝は良くないっていうから、そうした事は意識していたのかも)
それだと万能な神様お一人では眼や耳や手が足りない分も、ちゃんと満遍なく埋めてくれそうな気がしますね。でも、“手下”を使うような“全能の神様”も、あまり頂けないし。(笑)
それはそれとして、正月や七五三の宮参りなどは現在でも活きている習慣ですが、日本古来の「神」は、昔から気張らずに私達を癒し、浄化してくれる“存在”のような気がします。日本人の私は、こんな淡白な「神様」の方が好きですね。
ミクロの決死圏2 [0115]
『ミクロの決死圏2 アイザック・アシモフ著 浅倉 久志訳 早川書房 1989年4月初版 \2,000税込み』 (購入\105税込み)
昔は『空想科学小説』と呼ばれていたのに、何時の頃からか、ちょっとハイカラぶって『SF(サイエンス・フィクション)』と呼ぶようになったのも、海外の物が沢山翻訳されて、気軽に読めるようになったからでしょうね。
ま、それはいいとして、この本の表題「決死圏2」に惹かれて、買って読んで見ました。前の「ミクロの決死圏」は映画で見た記憶がありますが、主題は、確か脳内の腫瘍をレーザー銃で除去する事だったはず。
他方、この本では、『記憶?思考?』を脳内でキャッチ出来ないかという話らしかった。
結局、それが成功だったのか失敗だったのかが良く分からないまま、成功だという結論にしてしまってますが、一読者としては、どうも腑に落ちない。
どうやら、アメリカ側の『テレパシィの理論』?を脳内で実地に検証出来たらしいって話らしいけど、それがもひとつ説得力に欠ますね。
片方の(旧)ソ連側の発明品、『物質の縮小化』の方は、丁寧な理論展開が為されているので、私もちゃんと煙に巻かれましたが。(^^;?
堀部安兵衛 [0113]
『堀部安兵衛(全) 池波 正太郎著 立風書房 1980年8月発行 \1,300』 (購入\105税込み)
いやぁ♪爽快ですね!...偶には、こんな小説を読むのも、いい薬になります。
男の“爽やかな生き様”の好例をひとつ見せて貰いました。
実在した人物で、途中“高田馬場の決闘”と最後に“吉良邸討ち入り”と“切腹”に付き合っただけで、他にそれ程の偉業を成したわけでもなさそうだけれど、一介の武士として、その時々を精一杯生きていた人のようです。
これは、恐らく、厳しかった父親・弥次右衛門に(適切に?)鍛えられながら育てられたお蔭だろうと(勝手に)思ってますが。
読みながら、やはり、男の子は、厳しく育てるべきだろうなと考えながら、先の東北大震災−原発事故の際の東電・福島原発の吉田所長の振る舞い/処置を思い浮かべていました。
必要な時に、自分の考える方向で決断が出来、実行出来るのは、男の特権だな!と思ったり。
自然治癒力 [0111]
『自然治癒力の高め方 帯津 良一著 ごま書房 1997年7月8刷 \1,359+税』 (購入\105税込み)
近頃は、この“神様云々”というのが嫌いで、常々避けたい(...いや、喧嘩でも吹き掛けたい)と思っているのですが。
だって、人間の知識や想像力・探求力を越えるからといって、何でも神様のせいにしていたら、人間の数だけ神様が必要になりますからね!(まぁ、それはいいけど...“私の神様だけが一番偉い!”っていうのは、迷惑だし鼻持ちならないですから)
この著者が指摘されているのは、(神様がくれたってわけではなくて、)自分に「自然に備わった治癒力」をもっと活かそう!と考えなさいということ。
それには、こんな方法やあんな方法がありますから、それを参考に自分で試してみなさい!と。やはり、“自分に合ったやり方”を探すのがベストなのでしょうね。
この本で私が一番気に入った話は、一番最後の「リラックスできる環境をつくる(3)−触覚」の項。
未熟児を2組に分けて10日間、一方は1日3回15分ずつ愛撫し、他方は保育器に入れたままにした実験では、愛撫した方は1日に50%も体重が増えたそうです。つまり、(話半分にしても)乳幼児の愛撫は、単なる“触覚・感覚の促進”だけではなくて、自己成長力・更新力・治癒力にも影響がある(ようだ)との事ですが、私もそう思います。
(因みに、最近の医者は、あまり「触診」や「手当て」をしないようですが、あれも結構“有効な手法”ではないかと思いますがねぇ)
悪行の聖者 [0109]
『悪行の聖者 聖徳太子 篠崎 紘一著 新人物往来社 2006年10月3刷 \1,800+税』 (購入\200税込み)
(今回の本は、百五円ではなくて、二百円でした。これは、あまり良い兆しではないですね。「値上げ」を考えるのは、もう活力や持久力が無くなって来たせいではないか?と、BOOK-OFFファンとしては、先行きが心配になります)
それは兎も角、この篠崎版聖徳太子は、(自ら殺人も犯す)かなり生臭い人物として描かれています。(多分、こちらの太子の方が、より本物に近いかも!)
勿論、庶民を思い遣って「仏教」を広めようと考えていた心優しい人物のようですが、やはり、仏教を“現世の苦労や苦痛を和らげるための手段”として考えていたらしいことが分かります。(各個の“宗教”ってのは“副作用の多い一種の鎮痛剤”に過ぎないと私は思うのですが、既にこの時代、斑鳩寺と飛鳥寺の信徒間で、多くの死者が出る争いが始まっていたとかで、副作用も過激だったらしい)
また、興味深いのは、聖徳太子が実は天皇になりたかったのだが、なれなかったことや、渡来僧慧慈法師が、実は日本の仏教の棟梁(とうりょう)になるつもりで、太子を疎ましく思っていたことなどが描かれていますが、黒岩氏の小説とは、また違った捉え方をされていますね。
この著者も、きちんと沢山の参考・引用文献を挙げて居られるので、単なる空想ではなくて、“史実?の隙間”を創造/想像力で埋めた(真面目な!)伝記だろうと見ました。
Linux参考書 [0107]
またぞろ、Linuxを始めようか?と、昔買った参考書を引っ張り出して来ましたが、これが全然役に立たない!(一体何を買ったのだ!?)(左写真の左 \2,000+税)
(今必要なのは、“makeなど各種コマンド類の使い方”や“慣用的なファイルの置き場所”などの解説)
で、あちこちのBOOK-OFFを探し回ったのですが、なかなか見当たりませぬ。やっと、1冊見付けて、兎に角、買って来ました。(左写真の右 \105税込み)...でも、これも殆ど役に立たない!
(まぁ、こちらの方は捨てても惜しくないけど、昔買った新刊は高かったのに“無用の長物”だったわけです)
買った参考書で一番役に立ったのは、『全部無料タダで作る はじめてのホームページ 浅岡 省一著 翔泳社 \1,980+税』(左上写真<クリック>)で、これを丁寧になぞって/マネをしながらやったのが、勉強になりました...やはり、「学ぶ」には「真似る」から入って、「自分で手直し」が“最良ルート”でしょうね。
紀氏は大王 [0105]
『紀氏は大王だった 消された邪馬台国東遷と紀氏東征 日根 輝己著 燃焼社 平成7年7月 各\1,800税込み』 (購入\380送料込み)
この本でも、天武天皇(大海人皇子)は、「白村江(はくすきのえ)」の戦いで勝った唐・新羅連合軍の将軍であって、余勢を駆って日本(倭国)まで攻めて来て、天智系(紀氏)王朝を攻め滅ぼしたのだろうと、書いて居られますね。
そういえば、「白村江の戦い」で倭国の水軍を破って、倭国へ攻めて来た水軍の将なら、"大海人”と呼ばれても可笑しくは無いか?
まぁ、従来の天智(三十八代目)・天武(四十代目)兄弟説は、『日本書紀』によるものだろうし、それも天武天皇の項は、上下2巻にもわたる異例の編集らしいから、中身は(実際と辻褄の合いそうな)丁寧な創作話だったのかもしれませんね。
ということは、天武=韓(高句麗?新羅?)人説も、満更捨てるわけにも行かないかな?
淵蓋蘇文と大海人皇子 [0103]
『天の川の太陽「上、下」 黒岩 重吾著 中公文庫 1992年9月11版 各\740税込み』、『天武と持統 歌が明かす壬申の乱 李 寧熙著 文藝春秋 1990年10月1刷 \1,300税込み』
黒岩氏の「天の川の太陽」では、大海人皇子が、兄の中大兄皇子や中臣鎌足やその後の大臣らによって、次第に追い詰められて行き、遂には(帝位奪還のための)「壬申の乱」に突入するらしいのですが、李氏の本=「天武と持統」では、大海人皇子が、実は「日本書紀」に記載がある高句麗の将軍淵蓋蘇文(ヨンゲ ソムン)ではないか?という説を紹介されています。
でも、これまでは、舒明天皇を父とし、同じ飛鳥の地に住む大王族兄弟として扱われていた(はずの)大海人皇子(天武天皇)が高句麗の将軍だとすると、生活の“場所”や“時期”それに“大王家の血筋”などで、何か“矛盾”や“説明の困難さ”は生じないのでしょうか?それとも、あっと驚くような解釈でもあるかな?
もし、淵蓋蘇文が、日本へ来た/来ていたのなら、それは高句麗で活躍する前の時代だったのか、活躍した後なのかも知りたいですね。
「天の川の太陽」には、高句麗の実力高官・泉蓋蘇文(せんがいそぶん)という名が見られますが、これは別人でしょうね?(文庫本:292頁、単行本:212頁)・・・ 興味のネタが、また一つ増えました♪
がんと闘うな! [0101]
『患者よ、がんと闘うな! 近藤 誠著 文藝春秋 1996年9月17刷 \1,400税込み』
この本を読んで、“幽霊の 正体見たり 枯れ尾花”という句を思い出しました。
『“がん”は、怖い病気だ!』とか『事前検診は、必要だ!』とか、散々脅かされていますが、どうやら全く違うらしい。放っておけば治るガンも多いようだし、身体の免疫力を損なわなければ延命も容易なようです。
“抗がん剤(免疫力抑制剤)”は、全くの毒薬で、副作用が出ない薬は無いし、その副作用によって苦痛 を与えながら患者の有効寿命を縮めるだけみたい。“気休めには絶対使うな!処方するな!”
ちゃんとした調査、研究結果からみると、医師達の素人判断や間違った治療方法、先進国では廃れた手法や営利目的の治療など、やってはいけないのに平然とやっているのが、現在の“(日本の)ガン治療”のようですね。(確かに、そういう意味では、“ガンは(愚医者に掛かると)怖い病気”になる!)
通常医学では、ガンは治せるものではない、役立つのは「身体の自己安定化・維持力」だけだ、と理解しました。
“治療すれば延命効果がある”とか云うのも、証拠・根拠が全く無いらしい。(しないでも、同じ寿命のようで、薬や手術で苦しむ期間だけ、損らしい)
ところで、私自身の場合、どうするかを考えておかねば!
最近では、“ガン発見”を家族だけにそっと教える医者も居るそうですから、治療(抗がん剤投与や摘出手術)の勧めには絶対唆(そそのか)されないように、言い含めておかないといけないですね。(“ガン検診”など受ける気は無いけど、一般検診でも意図的に引っ掛けられるらしいから、用心も必要!)
もしガンが出て来て、それによる“圧迫苦痛”が強くなるようなら、“適当な鎮痛処置”を依頼しなければなりませんが、適切に処置して貰える医師や医院を探しておかないと。
まぁ、それ以前の話として、“老齢人のガンなんてぇ、皮膚の皺(しわ)と同じ”だろうし、毎日を楽しく意欲的に過ごせれば、ガンなんて何時出て来ても構うこたぁない♪と思うようにしてますが。(笑)
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